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09/26/2006

『ブラック・ダリア』ジェイムズ・エルロイ

ウチの相方がジェイムズ・エルロイの『ホワイト・ジャズ』を読んでいて、それにちょっと触発されて『ブラック・ダリア』を読んでいる。エルロイのLA暗黒史4部作『ブラック・ダリア』『LAコンフィデンシャル』『ビッグ・ノーウェア』『ホワイト・ジャズ』のうち、どれを読んでもよかったのだけど、とりあえず『ブラック・ダリア』は映画が来月公開されるってことで。
5年くらい前に読んだはずだが、あらすじはいいとして、細部はほとんど覚えていねーなー(笑)

暗黒4部作は、自分の母親が殺害(未解決)されたエルロイ自身の過去にバックグラウンドを持つ。直接結びつけるのはどうかと見る向きも多いけど、その過去は書き続けることのモチベーションでもあり、また書き続けることがエルロイ自身のアイデンティティを見いだす旅でもあるのだろう。
その第一作目にあたる『ブラック・ダリア』は1947年に起きた惨殺事件をベースにしている。っつうか、ブラック・ダリア事件に対するエルロイなりの解釈本か。ハードボイルドでもあるし、作家以前の立場における個人的な覚え書きともとれる。彼にとってこの事件は、自己を完全に解体させてしまってあらためて微動だにしない自己を構築させるのに格好のネタだったのかもしれない。

数十ページ読んだだけでもわかることだけど、映画『LAコンフィデンシャル』を好きな人なら『ブラック・ダリア』のケイ・レイクを映画の中ではスカーレット・ヨハンソンが演じていることにひどい違和感を覚えるだろう。まだ観ていない先からこんなこと言うのも不遜だろうけど、でも『LA』で高級娼婦を演じたキム・ベイシンガーの存在感を思えばそう言いたくもなるのだ。エルロイならではの女性造形をヨハンソンになぞることができるかッ!ってさ。
この違和感がいい意味で裏切られればいいのだけど。

監督はブライアン・デ・パルマだし、あまり期待しないでおこうかな。

September 26, 2006 in books | | Comments (5) | TrackBack (8)

09/25/2006

VADE MECVM(靭公園)、CARL CRAIGの新譜。

今日は久しぶりに午前中からプール。区民プールなだけにさすがに早くから高齢者で芋を洗っている状況。びっくりした。でもまあ、きっちりコース分けされているから30分みっちり泳げる。
そのまま靱公園でエルロイの『ブラック・ダリア』を再読しながら相方を待ち、芝生の上でお手製の弁当を広げて昼ご飯。ペットの散歩が多くて、それを見ているだけでもなごむ。陽が射すうちはまだじりじりするように暑いけど、雲がかかるとめっきり涼しい。秋やねー。金木犀はまだ香ってこないけど。

公園北側の「VADE MECVM(ヴェイディミーカン)」でオチャ。ボダム社製のコーヒーウェアが使用されていて、雰囲気。シンプルなステンレス製のコーヒーメーカーが運ばれ、時間がきたら自分で抽出して注ぐのである。炭焼きコーヒーのような深い苦みがあっておいしかった。カップの底に澱が残るのもいい。
ギャラリー・カフェなだけあってタバコが吸えないのがきついけど、テイクアウトもできるので今度はサンドイッチも買って公園でカフェにしよう。Utsubo7

夕方遅くなってから梅田茶屋町のタワーレコードへ。ハウスでめっちゃ欲しいCDが出ていたのだけど我慢して、買うと決めていた Carl Craig の "FROM THE VAULT:PLANET E CLASSICS COLLECTION VOL.1" を購入。できれば輸入盤にしたかったのだけど、店の人に輸入盤の情報はまだ出ておりませんと言われ仕方なしに邦盤にする。店を出るとき ARRESTED DEVELOPMENT の新譜が出ているのに気づいて呆然とした。うーん、レンタルに出るのを待てそうにないな。

Carl Craigの新譜については後日。

 

September 25, 2006 in life | | Comments (0) | TrackBack (0)

09/19/2006

『マッチポイント』、『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』、中南米の乾いた空気。

『マッチポイント』
ニューヨークを撮り続けてきたウディ・アレンがロンドンではいったいどんな風景を切り取るのか、それに一番興味があったのだけど、そういう部分では馴染めなかった。脚本が素晴らしく良くて、物語の展開を堪能するので満たされたた、ともいえる(笑) いやほんと、脚本は良かった。
見終わったあとで、そういえば主人公がドストエフスキーの『罪と罰』とその解釈本を読むシーンが出てきたなーとちょっと笑ってしまったけど、ラスコーリニコフの老婆殺しを最初に観客に意識づけたのはウディ・アレンの遊びだろう。伏線というほどでもなく、とくに深い意味はない。作品中にやたらドストエフスキーとかフェリーニとかベルイマンを引き合いに出したがる人だから。

それにしても笑えるシーンがなさすぎる。自虐的な笑いさえない(アレンは出演していないからそれもそうだけど笑)。ペーソスもない。『インテリア』ほどシリアスではないけど、こんなラブ・サスペンスも撮れるんだ、アレン。
ウディ・アレン作品と知らずに観たら、気付かないだろうな。

『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』
脚本はイニャリトゥファミリーのギジェルモ・アリアガ。悪いはずがない。時間軸の操作は今回は『21g』ほど意識させられることはない。ただじっくり腰を据えて話を追えばいい。有無を言わせず引き込ませる。ヒメネスという架空の村の設定がポイントだったと思う。ひとつくらい謎を残すのが、余韻に浸れるというもの。

いや、そんなことはどうでもいい。メキシコ国境〜メキシコの風景が想像を絶して美しい。乾ききった空気に根源的な飢えを感じる。水とか、信じ続けていたい何かとか。青の使い方も絶妙。こういう色彩と風景をバックに映画を撮るなら死んだ友人を葬るためのロードムービー(というにはハードにすぎる行程だけど)以外、他にどんな映画のジャンルがあるんだ? っていうくらい。トミー・リー・ジョーンズにこんなロケハンの才覚があるとは思ってもみなかったよ。なんかあれだな、ヘンリー・フォンダあたりがモンタナを見いだしたのと同じようなエポックメイキング的なものを感じました。

っつうか、中南米って、映画界では近年のブームなんですかね。『モーターサイクル・ダイアリーズ』といい、イニャリトゥ作品といい。
『マッチポイント』に『モーターサイクル・ダイアリーズ』が出てくるとは思いもしなかったし。

September 19, 2006 in films | | Comments (2) | TrackBack (3)

09/17/2006

浦和vs広島、チェルシーvsチャールトン。

広島戦。酒井以外、みんな疲れているのだろうか。動きが重い。特に田中達也のキレの悪さが気になった。この調子が続くなら、代表の座は播戸にさらわれるかもしれない。小野もつまらないパスミスが目立つ。平川へのラストパスには、らしいイマジネーションがみられたけど、それだけ。昼間は清水vs鹿島を見ていて、清水のような連動する攻撃を期待するのだけど、それにはほど遠い。チームとしての完成度は今いる順位に相応しいものではないだろう。個人の技量だけで持っている。

先制のシーンは、まあ、そのへんに闘莉王がいるのは今さら不思議ではない(でもそこにいるべきなのはアレックスだし、そのアレからのパスだぜ? )けど、お前がシザースフェイントするか!?ってなドリブルでするする上がっていったものだからおいおい、と思い、その直後のミドルにお前は攻撃的MFかよ!と思いました。サイドネットに突き刺さるしさ。うーん、案外、今後浦和の戦術は闘莉王次第になっていくのでしょうか。

先週のチェルシーvsチャールトン戦。
開始早々セットプレーからDFのはね返りをドログバがドログバらしい反射神経の良さで決めるけど、攻撃の形が偏り過ぎに感じるのは僕だけだろうか。SWPのサイド突破から2列目がフィニッシュを狙うパターンばかり。グジョンセンが2列目に参加していた頃の面白みに欠ける。カルバリョの決勝点もセットプレーから。一層ディフェンシヴになったような気がする。シェフチェンコがポスト的な役割を担っているのも、ちょっとそれは違うんじゃないかと思うし。どんな了解事項があるのだろう。
次のリバプール戦、ロッベンが戻ってくるし、そういう意味で期待したい。

September 17, 2006 in football | | Comments (0) | TrackBack (0)

09/15/2006

『ひかりのまち』

ロンドン在住の三姉妹を中心に描かれる、週末の家族の風景。ありふれた日常の一部なんだけど、不思議に引き込まれてしまった。物語らしい物語もないのに、役者の表情も含めて換骨奪胎された日常の演出が素晴らしい。とにかく無駄な描写がない。
いかにもCM作家あがりらしいマイケル・ウィンターボトム監督の、16ミリを35ミリに引き伸ばしたフィルムのざらついた質感とマイケル・ナイマンの音楽が被さる雨に濡れたロンドンの夜の薄青い光が、しっくり馴染んでいる。気を衒わず、下手に小細工を施さず。案外、王道なんですね、ウィンターボトムって。構図や編集にあまりこだわっていない作りに好感が持てました。

『9 Songs』『CODE46』しか観たことがなかったのけど、レンタルでいろいろ探してみようという気になった。『ウェルカム・トゥ・サラエボ』とか、ぜひ観たい。

それにしても『WONDERLAND』がどうして『ひかりのまち』という邦題になってしまうのだろう。

September 15, 2006 in films | | Comments (0) | TrackBack (0)

09/10/2006

睡魔、『アメリカの友人』、変わらない浦和。

激忙であまり睡眠を取れていないから休日は9時間は眠りたいのだけど今朝は9時過ぎに目が覚めてそのまま『題名のない音楽会』を観る。前田憲男・佐藤允彦・羽田健太郎のピアノアレンジを何曲か。
楽しむ。

ネットでうろうろしたけど楽しめず、先日テレビでやっていたヴェンダースの『アメリカの友人』を20年ぶりぐらいで観る。半分ほど観たところで相方が起きてきて、一人の時間が終わり、続きを観るのは諦める。ロビー・ミュラーの色彩感覚にもっと浸っていたかったのだけど。それにしてもデニス・ホッパーがかっこ良すぎる。このころがいちばんいいんじゃないのか。

夕刻前、DVDで『パイレーツ・オブ・カリビアン』を観ている間、物凄い雨が降る。この雨で季節が切り替わるのかなと思うほどの。いきなり涼しくなるし。
ジョニー・デップは不思議な役者だ。『ギルバート・クレイプ』『妹の恋人』『フェイク』『デッドマン』『ブロウ』『耳に残るは君の歌声』とかのリアリティーのある役柄と『シザーハンズ』『スリーピー・ホロウ』『ナインス・ゲート』『チャーリーとチョコレート工場』などのカリカチュアされた役柄をキャリアにおいて演じ分けている。それがデップなりのバランスの取り方なのだろうと思うけど、やっぱり後者の方がジョニー・デップですね。

雨が上がってから下福島公園の区民プールで20分あまり集中して泳ぎ、夏の間は入る気になれなかったジャグジーでくつろぐ。外に出るとすっかり秋の夕方だった。雨をたっぷり吸い込んだ土の匂いをかぎながらベンチでタバコをふかしているうちにそのまま爆睡してしまいそうになる。

帰宅後、2ヶ月ぶりぐらいにスークのバッハを聴きつつ薄暗い部屋のなかでぼーっとしてから、TSUTAYAでマイケル・ウィンターボトムの『ひかりの町』とイーストウッドの『センチメンタル・アドベンチャー』を借り、帰ったらもう大宮vs浦和は始まっていた。
中盤が機能せずとりあえず前線にボールを運んでからなんとかしようとするばかりの大宮相手に浦和は相変わらずぐだぐだの試合運びで、久しぶりのリーグ戦先発の酒井も決めるところは決める運を持ってはいるけどどうもパンチがない。チームとしてはコンパクトなビルドアップを意識しているようだけど、パスミスが多く、溜め息ばかりついてしまう展開。
後半、逆に浦和の中盤が間延びして機能せず。押し込まれる一方だけど今年の浦和のDFは盤石。失点の気配もない。まあ、相手が大宮で助かった。

あとは半身浴でどーっと汗をかき、例によってうるるん放浪記を楽しみ、キャリアオイルにマジョラムとティートゥリーを垂らしてオイルマッサージ。
早々に、寝よう。

September 10, 2006 in life | | Comments (0) | TrackBack (0)

09/06/2006

デトロイト・テクノ再興。

先日TSUTAYAの半額クーポンで借りたCD。

 COLOUR ME POP/FLIPPAER'S GUITAR
 CAMERA TALK/FLIPPAER'S GUITAR
 IMAGELY/Free TEMPO
 B.A.D./真心ブラザーズ
 more songs about food and revolutionary art/CARL CLAIG
 他、クラブ・ジャズ2枚。

相方にミーハーやねーと言われたけど。たまにはミーハーな時間を過ごしたいのです。

まだ聴いたことがなかったカール・クレイグには聴き入ってしまいました。デトロイト・テクノ再興と言われている昨今らしいですけど、リアルタイムで浸っていない僕にはこれが新しい波、かもしれないのです(笑)
とりあえず今度出るベスト盤 "FROM THE VAULT" を買って聴いてみよう。


Carlclaig1

September 6, 2006 in music | | Comments (0) | TrackBack (1)

09/04/2006

『エリザベスタウン』、『アメリカ、家族のいる風景』

DVDで、土曜に『エリザベスタウン』、日曜に『アメリカ、家族のいる風景』を観た。どちらの映画にも散骨のシーンが出てきてちょっと不思議な気分になった。『エリザベスタウン』の舞台となったケンタッキー州での火葬率は1997年の調査で6.25%。『アメリカ、家族のいる風景』の舞台であるモンタナはどうなんだろう。そんなことは別に重要なことではないのだけど、2日続けて散骨のシーンを観ると、やっぱりね、なんか調べてみたい気にもなってさ。

『エリザベスタウン』は監督がキャメロン・クロウだからまず間違いはないだろうと思ってレンタルしたのだけど、脚本(もクロウ)がかなりイージーでした。でもまあ、おとぎ話的な再生の物語とみればこれぐらいでいいのかも。もっと細密に描き込むこともできたのでしょうけど、それはクロウの狙いからは外れているのかもしれません。
『エターナル・サンシャイン』のキルステン・ダンスト、好演。

『アメリカ、家族のいる風景』
ヴィム・ヴェンダース監督、脚本サム・シェパードとくれば『パリ、テキサス』ですが、柳の下のどじょうを狙ったようなこの邦題の付け方、どうにかならないものだろうか。
こちらもある意味再生の物語。違うか、自分探しの旅か。
それも30年近く会っていなかった母親に、自分に息子がいる事を知らされてアイデンティティを見いだすきっかけを得るというような。『パリ、テキサス』にくらべたらずっと現実的だけど、あまり映画的ではない。サム・シェパードらしいといえばいえるかもしれない。
印象的だったのはモンタナ(ビュート市)の光景。あまりに人がいなさ過ぎる。もう、エドワード・ホッパーの絵画そのもの。昼間は郵便配達人と清掃人、車の中の人、スポーツクラブで走る人、ホームレスくらいしか出てこない。喧噪といえるようなのは夜のクラブぐらいなもの。不思議な町でした。

20数年前の、(おそらく)ジェシカ・ラングと付き合い始めたころの写真を見るサム・シェパードのカット、感慨深いものがありました。映画の中で現実のプライヴェートな過去を眺めるという不思議なシーン。ヴェンダースはともかく、サム・シェパードは彼なりに、この映画(機会)に「家族」以外の極私的なプロパティを、経験をもって付加したかったようですね。

まあ、そんな映画があってもいいか。

September 4, 2006 in films | | Comments (0) | TrackBack (0)