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12/19/2007

『逆立ち日本論』養老孟司 内田樹

対談のベースになっているのは内田の「私家版・ユダヤ文化論」。養老がナビゲーター的立場で回しているけど、なにしろ相手は内田だ、脱線が甚だしく、まあ、とにかく面白い。それでないと対談にはならないのだけどね。語られるのは、ことば、身体論、日本政治論、全共闘など多岐に渡っているけど、とりあえずこのエントリではユダヤ文化の時間性についてひとつだけ引用。

内田 視覚と聴覚のズレの問題こそ、まさにユダヤ教思想の確信なんですよ。ご存じの通り、ユダヤ教では偶像を作ることが禁じられています。造形芸術は禁止なんです。神を空間的な表彰形式に回収することは絶対の禁忌なのです。というのはユダヤ教の宗教性の本質は時間性だから。ユダヤ教の場合、神と被造物のあいだの「時間差」、神の時間先行性こそが神性を構築しているわけですから、神を空間的表象にすると神性の本質的なところが消えてしまう。だから「神を見てはならない」と言われるのです。
(中略)
ユダヤ人の場合はそんなふうに造形芸術原理的に禁圧されていますから、いきおい信仰の表現が音楽に向かうことになります。音楽は聴覚の芸術、言い換えると、時間の芸術ということになりますね。
(中略)
「偶像を使ってはならない」「神を見てはならない」という禁忌があるのは、空間的、無時間的に神と人間との関係を考想してしまうと、神と被造物を隔てている絶対的な時間差が解消されてしまうからでしょう。ユダヤ教の視覚的なふるまいに対する執拗な禁忌は、宗教の本質をなす時間性を温存するためだというふうにぼくは解釈しています。
でも、ユダや教の信仰が徹底的に聴覚中心に体系化され、神を空間的に表象することをきびしく禁圧したことは、その一方で、非ユダヤ人にとっては耐え難いストレスでもあったのではないかとも思うのです。
人間はやはり空間的な表象形式の中で、世界を経験したい。世界が一望俯瞰される無時間モデルだと、人間はすごく安心できますから。安定した静止的な世界像を持ちたい人にとっては、ユダヤ教はその根源的な欲求を絶対に満たしてくれない宗教なわけです。
養老 音楽家でシャガールを好きな人が多いのはそういうことでしょうか。
内田 シャガールというのはユダヤ人でほとんど唯一の例外じゃないんでしょうか。「ユダヤ人画家」というのは本来形容矛盾なんです。ユダヤ人には伝統的に音楽や舞踏のような時間性を含んだ芸術表現以外は許されていないはずですから。シャガールがそれでもユダヤ人世界で許容されたのは、それが聴覚的な、
あるいは時間制をどこかにとどめた絵画だからではないでしょうか。たぶん、シャガールの絵からは音楽が聞こえるのです。

シャガールの絵画から音楽が聞こえるかどうかは別として(むしろセザンヌの方が音楽的だと感じますけど)、画家にユダヤ人が少ないのはこういう背景があるのですね、と今さらながら。音楽界、あるいは映画界ではユダヤ人が席巻しているだけに。複雑、ではないけど、絶望的に本質的なものを感じさせるエピソード。

 

December 19, 2007 in books |

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