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05/16/2008

自傷系アートの行方 ー松井冬子ー

Matsui_03 先月 NHK でやっていた、日本画家・松井冬子の特集「痛みが美に変わる時〜画家・松井冬子の世界〜」の録画をやっと観ることが出来たので、覚え書き的に。
僕個人としては上野千鶴子がラストにインタビュアーとして出てきたのがウザかったんだけど、考えさせられるところも突っ込みどころも多く、松井のキャラクターも併せて概ね楽しめた。

番組タイトルの通り、松井は幼い頃に暴力的なことで被った肉体的な「痛み」を、あるいはその記憶を、さらには傷つけられたことから来るトラウマをモチベーションとして作品を描き続けてきた。そういったものを連想させるものを描いてきたのは、暴力の向こう側に見えてくるもの、そこにある(人と人との)関係性を描きたかったからだ、と本人も言っている。

が、見ているとどうも、今ではたまたまその題材がいわゆる「自傷系アート」と形容されるテイストを持ち併せているだけのことで、松井本人としては苦痛、痛み、あるいはそれを被らせた対象への呪詛、そういったものを描いているのだと評されることについてはもう、倦んでいるようにも感じられた。確かに初期の頃の動機にはそれもあっただろうけど、もう、動機を超えて、描きたいことそのものとなっている、そんな気がした。あるいはが、技術も含めて日本画そのものの追求の手段として描き続けているのではないか、と。
そのあたり、ストイックな姿勢を感じないでもない。Matsui_01

彼女の作品を鑑賞することに、たいていの男は抵抗を覚える、それは狙いどおりだと本人も笑って告白していたが、そういうどこか復讐めいたもくろみは、もう、どうでもいいじゃないか、と言いたくなるほど(テレビで観ていても)凄絶で、静謐を湛え、素晴らしい。
また、それを描いているのがこれだけの美人だ、というのも男を引かせる要因の一つだという風潮(笑)もあるけど、いやー、今後どれだけの作品を僕らが目の当たりにできるのか、そして、自傷系などと冠されることの無意味さを知らしめる作品を彼女がいつモノにするのか、期待せずにいられない。
Matsui_02

 

May 16, 2008 in art | | Comments (0) | TrackBack (0)

05/07/2008

「ティファニーで朝食を」「花盛りの家」トルーマン・カポーティ / 村上春樹訳

ブレイク・エドワース監督の「ティファニーで朝食を」は観ているけどカポーティの原作は読んでなかったので、村上訳が出たのを機に。
僕は映画の方は全然楽しめなかったのでカポーティの原作はちょっと期待していたのだけど、映画とは全然違った趣で、びっくりした。50年代ニューヨークの息づかいは小説の方にこそ充満している。

主人公ホリー・ゴライトリーのキャラクター設定も、そう。カポーティの毒は映画ではすっかり消え失せてしまっている。できればカポーティ自身に脚本を書いてもらいたかったところだけど、オードリー・ヘプバーンが主役ということもあり、そうはいかなかったのだろう。
さらに、原作を読んだ人はみんなそう感じるだろうけど、ホリー・ゴライトリーはオードリー・ヘプバーンのキャラクターじゃない。あとがきで村上も書いているが、カポーティの原典に忠実にリメイクしたものを観たい、と思いますよね。
その際、誰がホリーを演じる? キーラ・ナイトレイ? 5年後のダコタ・ファニング? ナタリー・ポートマン?

「ティファニーで朝食を」所収の「花盛りの家」も堪能した。おとぎ話的世界観とめくるめく文体がいわゆる初期〜中期の「夜の樹」「草の竪琴」にも通じるものがあるような気がする(「ティファニー」が書かれたのはこの作品の4年後)。残酷で、エロい。
物語の設定はルイ・マルの「プリティ・ベビー」を想定してもらえばいいか。無垢な少女がある娼家のおかみに拾われて一帯で評判の娼婦になり、ふと出会った少年と恋に落ちて、少年の家で奇術的な毒々しい体験を重ねているうちに....という展開。
もうそれだけでカポーティ。

 

May 7, 2008 in books | | Comments (0) | TrackBack (0)

05/05/2008

第10節、神戸 1-1 浦和。

0503_23_01 内容はともかくオジェック時代のツケを地力の差でじわじわと解消していっていつの間にか首位に照準を合わせている浦和。いや、ほんとに内容はともかくなんだけれども。
前節のコンサドーレ戦、前半いきなりの失点の場面、この崩し方をお前らがやるべきだろう! っていう、そんな鮮やかな崩され方をしていたけど、この神戸戦の前半の入り方も不安なものでした。

8節京都戦から開眼したエジミウソン、高原の2トップはこの日は沈黙。というか、高原が絶不調。神戸のプレスはそれほどタイトでもしつこくもなかったのですが、システム的に封じられた感。ボッティと金が締める神戸の中盤は厚みがありました。暢久も大ブレーキで何かやってくれる感とかそういうのがまったく無し。

0503_09_01 この日CBに阿部が入り、堀之内が左、堤が右という布陣だったけど、これが裏目に出たか、暢久のこともあり浦和の右は火の車状態。ただこの日、神戸にはまったくツキがなかったようでバーやらポストやらに嫌われまくり。これがなかったら1-3の敗戦もあったでしょう。浦和は前半高原のバイシクル、堀内のヘッドが大きく枠を外したくらいで、膠着状態のまま後半へ。

暢久→梅崎の交代で永井が右に入ってやっと浦和は右がフレキシブルになり、CKの流れから上がった阿部がダイレクトボレーを決め、先制。0503_01_01
その後走らない闘莉王と戻りきれない永井の分まで細貝が奮闘して守っていましたが、終了10分前、浦和の右が決壊し、堀之内の半端なツメからコースを切れず、吉田に同点被弾。

終了後、闘莉王のチームメイトに対する怒りぶりが相当でしたけど、そんなことより、走ってくれ闘莉王。


 

May 5, 2008 in reds | | Comments (0) | TrackBack (0)

05/04/2008

「最高の人生の見つけ方」

モーガン・フリーマンにジャック・ニコルソン。べたべたハリウッドだけど監督がロブ・ライナーということで食指が動く作品。
とはいっても1986年の『スタンド・バイ・ミー 』と1989年の『恋人たちの予感』しか観ていないのだけど。

ひどい邦題。"THE BUCKET LIST"(話の中では「棺桶リスト」と訳されている)がどうして『最高の人生の見つけ方』になるんだ。同じような邦題はあるけど内容の通りに「死ぬ前にやっておきたいいくつかのこと」とかのほうがよっぽど、という気がする。どこかにネガティヴさを入れるほうが伝わるものはあるはず。

Bucketlist それはそれとして(笑)、なんというか、案の定、愛すべき掌編といった趣の作品。脚本がとてもこなれているし、この手のほろりとさせるコメディでジャック・ニコルソンが外すわけもない。
それと、モーガン・フリーマンが最近にないちょっと凄い演技をしている。それは観てのお楽しみなんだけど、映画『セヴン』の中で、ダイナーに呼び出されてグウィネス・パルトロウに深刻な相談を持ちかけられたときのフリーマンを超えている。

あと記憶に残るのはニコルソンの秘書役を演じた Sean Hayes。妙演。味があります。

 

May 4, 2008 in films | | Comments (0) | TrackBack (0)