『エリザベスタウン』、『アメリカ、家族のいる風景』
DVDで、土曜に『エリザベスタウン』、日曜に『アメリカ、家族のいる風景』を観た。どちらの映画にも散骨のシーンが出てきてちょっと不思議な気分になった。『エリザベスタウン』の舞台となったケンタッキー州での火葬率は1997年の調査で6.25%。『アメリカ、家族のいる風景』の舞台であるモンタナはどうなんだろう。そんなことは別に重要なことではないのだけど、2日続けて散骨のシーンを観ると、やっぱりね、なんか調べてみたい気にもなってさ。
『エリザベスタウン』は監督がキャメロン・クロウだからまず間違いはないだろうと思ってレンタルしたのだけど、脚本(もクロウ)がかなりイージーでした。でもまあ、おとぎ話的な再生の物語とみればこれぐらいでいいのかも。もっと細密に描き込むこともできたのでしょうけど、それはクロウの狙いからは外れているのかもしれません。
『エターナル・サンシャイン』のキルステン・ダンスト、好演。
『アメリカ、家族のいる風景』
ヴィム・ヴェンダース監督、脚本サム・シェパードとくれば『パリ、テキサス』ですが、柳の下のどじょうを狙ったようなこの邦題の付け方、どうにかならないものだろうか。
こちらもある意味再生の物語。違うか、自分探しの旅か。
それも30年近く会っていなかった母親に、自分に息子がいる事を知らされてアイデンティティを見いだすきっかけを得るというような。『パリ、テキサス』にくらべたらずっと現実的だけど、あまり映画的ではない。サム・シェパードらしいといえばいえるかもしれない。
印象的だったのはモンタナ(ビュート市)の光景。あまりに人がいなさ過ぎる。もう、エドワード・ホッパーの絵画そのもの。昼間は郵便配達人と清掃人、車の中の人、スポーツクラブで走る人、ホームレスくらいしか出てこない。喧噪といえるようなのは夜のクラブぐらいなもの。不思議な町でした。
20数年前の、(おそらく)ジェシカ・ラングと付き合い始めたころの写真を見るサム・シェパードのカット、感慨深いものがありました。映画の中で現実のプライヴェートな過去を眺めるという不思議なシーン。ヴェンダースはともかく、サム・シェパードは彼なりに、この映画(機会)に「家族」以外の極私的なプロパティを、経験をもって付加したかったようですね。
まあ、そんな映画があってもいいか。
September 4, 2006 in films | Permalink
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