04/03/2012

ドラゴン・タトゥーの女、デヴィッド・フィンチャー。

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「ミレニアム」3部作はこの年明けまでに全巻読み終えていたし、なによりフィンチャー作品なので昨夏から楽しみにしていた。カレン・O とトレント・レズナーの「移民の歌」の流れるトレイラーの小気味の良い編集っぷりにシビれてそれこそ矢も盾もたまらない感じ。もっともレッド・ツェペリンは全然聴いてこなかったのでそれが「移民の歌」のカヴァーだと知ったのはあとになって相方に教えられてのことだったけど。

ここまで原作(スティーグ・ラーソン)に忠実だとは、とびっくりしながら観ていたのだけど、このサスペンスのキーパーソンであるハリエットに関する結末だけが思い切り端折られた感じで、尺に収めるにはこう脚色するしかなかったのだろうなとちょっと笑えた。「ミレニアム」第2部「火と戯れる女」でもハリエットは相応に重要な役割を担って登場するから、そういう意味ではもしフィンチャーがこの続編を撮ることになれば、主人公たちの背景が導く小説独自の世界観そのままの映像化を期待する者にはちょっと厄介かもしれない。
小説は小説であって、フィンチャー映画は映画だし、続編以降は小説とは切り離して映像だけに集中した方がいいのだろうな。

デビュー作のエイリアン3から前作のソーシャル・ネットワークまでずっとそうだったように(「ベンジャミン・バトン」は未見)一貫して暗い色調で、といってそれ以外に例えばセブンのでのフィルム処理に見られるほど凝ったものがあるわけでもなく、他の北欧映画がそうであるように、単に光の屈折加減によるものだろうけど、スウェーデンの空気の青白さばかりが印象に残る。
変に演出過剰になってもいず、圧巻なのはそこはやっぱりフィンチャー、編集の人だなー、と再確認できた映画。

リスベット・サランデルが親愛の情を抱いていた後見人パルムグレンが脳梗塞で倒れたとき、見舞いに買ったのがボビー・フィッシャーの対局集であったりとか、あるいはミカエル・ヴィルムクヴィストがヘーデスタでの最初の夜、凍えながら暖炉に火をくべるときに1枚1枚破って燃やしていたのがヴォネガットの「国のない男」だったりとか、どちらも原作に無かったはずだし(無かったよな?...)、このあたりはフィンチャーの遊び心だろうか。
でも第2部「火と戯れる女」でリスベットがフェルマーの最終定理にハマった資質を、フィンチャーがボビー・フィッシャーに代えたのだとしたら、原作ファンはどう反応するのだろう。単にパルムグレンとチェスをするから、だけの理由だったのだろうか。
うがちすぎかな。

ダニエル・クレイグ、好演。他には007しか観たことないのだけど、いい役者だなー。

というわけで(たいした脈絡も無いけど)「セブン」DVDを10数年ぶりに観返してみた。

April 3, 2012 in films | | Comments (0) | TrackBack

04/05/2011

SOMEWHERE

Somewhere08

冒頭、固定カメラで切り取られたラスベガス郊外のサーキットを、乾ききった甲高いエンジン音を響かせてかっ飛ばす黒いフェラーリ。フレームインしてはフレームアウトを繰り返す、何も変わらない、ただ惰性で流れるだけの日常を象徴するような反復。そしてそれにも倦いたのか、走り終えて降り立ち、茫然と立ち尽くす主人公。
このワンカットで、観る者に一切が明らかにされる。この2分足らずのワンカットだけで主人公のメンタリティのすべてが詳らかにされる。そういう男の映画だったのか、と僕らはソフィア・コッポラが造ろうとした主人公ジョニー・マルコ(スティーブン・ドーフ)のメンタリティと日常感覚に一瞬に馴染んでしまう。この冒頭だけで。

前々作「ロスト・イン・トランスレーション」同様、映画の中では何も起こらない。酒とパーティーと女漬けの毎日で、投宿しているシャトー・マーモントに双子のデリバリー・ポールダンサーを呼んで踊らせているうちに眠りこけてしまうばかりの空虚なだけの日常。離婚した妻との間の娘クレオ(エル・ファニング)を預かり、一緒に過ごしている間優しい気持ちになることはあっても、いつかまた元の日常に戻っていく。
そういう時間を、ソフィア・コッポラは深刻ぶることもなくユーモア交えてオフ・ビートで描く。
惰性で生きる男の抱える孤独とか最後に気付かされる家族の絆の大切さとか、紋切り型のテーマはいくらでも簡単に見つかるけどそう単純なことでもなく、ほんの些細な事柄から引き起こされる微細な心の揺らぎと焦燥感を象徴的に、優しく掬いあげて見せている。なんということもない、日常の光景をを淡々と切り取ってみるだけで。
かつて同じシャトー・マーモントの一室で、フランシス・F・コッポラの膝の上で過ごしたであろうソフィアの原点を想像させるに十分な、そういうたわむれの時間帯。

ガス・ヴァン・サント組のハリス・サヴィデスの撮影がいい。紗のかかったような、絆のような何かを伝えている逆光気味の柔らかい空気感。
シャトー・マーモントでの卓球とか時間が止まったようなプールサイドでの昼寝、Wii Sports に興じるひととき、そういう幸福にも思える時間帯にも潜んでいる哀しみとかネガティブなものまで余すことなくサヴィデスのカメラはさらっと写し取り、ソフィア・コッポラが描こうとする主人公の心象風景を的確に、あるいは監督自身気づいていない脚本以上の何かを広げてみせる。
特に、クレオがギンガムチェックのコットンワンピース姿で無心に朝食を作っているシーンが秀逸。あそこにどれだけの愛が注がれていることか。ソフィア・コッポラの、ハリス・サヴィデスの、脚本の、あるいは役柄を離れたスティーブン・ドーフ本人の。

Somewhere07
 

「ソーシャルネットワーク」同様、音楽が印象的。予告編が Toutube で公開されたとき、ジュリアン・カサブランカス(The Strokes)の "I'll Try Anything Once" に打ちのめされた。映画表現におけるソフィア・コッポラの世界観そのままの繊細で、メロディアスな旋律。それにしてもいいタイトルですね、I'll Try Anything Once.
ラストにブライアン・フェリーの "Smoke Gets In Your Eyes" が流れていたけど、ソフィア・コッポラってよほどロキシーが好きなんでしょうね。「ロスト・イン・トランスレーション」ではビル・マーレイに "More Than This" を歌わせてたし。

エレベーターでのほんの10秒ほどののカメオ出演だったけど、デル・トロ存在感あり過ぎ。このとき主人公に教えてくれたけど、U2のボノが宿泊したのは主人公が泊まっていた59号室。これマメ知識な。

Somewhere06
 

April 5, 2011 in films | | Comments (2) | TrackBack

10/11/2009

リミッツ・オブ・コントロール

冒頭いきなりランボーの「酔いどれ船」のなじみの一節が飛び出してきて、ああ解釈はすべて観客の胸にゆだねられるのだなと受け止め、まったり楽しんだ。映画の中でも呟かれる通り、想像力が鍵。ジム・ジャームッシュの作品は「デッドマン」以外全部観てきているけど、この作品が僕にはベストかもしれない(ニール・ヤング好きなのにね)。
にしてももう62歳になられるのですか....

ジャームッシュの描く関係性とはパーマネント・バケーションの頃からすでに個と個の間にしかない。たとえばアルトマン(大好きだけど)の映画とは対極にある作品を作り続けているわけだけど、それは結局ロードムービーという範疇で括られてしまうリスクはあっても、そういうスタイルの表現しかできないことについてたぶんジャームッシュ自身認めているのだろう、ずっと主観の外に自分を置いて語り続けている気がする。単なる嗜好なのかもしれないし、ただ無骨なだけかもしれない。それはわからないのだけど。

ジャームッシュがこの映画を作ろうとした経緯にはその契機としていろんな作品が出てきているようだけど、僕にはヴェンダースの「パリ、テキサス」を彷彿とさせて仕方なかった。その印象を加速させたのはクリストファー・ドイルのカメラ。スペインがこんな風に切り取られるとは思ってもみなかった。個と個の関係性をしか描けないジャームッシュにはうってつけだったなー。あの乾燥っぷり。
そういえば「人生には価値はない」って繰り返されたフレーズ、スペイン語では何というのでしたっけ? 車にペンキで描かれていた文句。
その中の "NADA" という単語にはヘミングウェイの一連の短編を思い出させて仕方なかった。Limitsof

引用と反復。ヒッチコックの「断崖」を模したティルダ・スウィントンのいたずら。あの衣装は何を真似ていたのでしょう....
あるいはパス・デ・ラ・ウエルタの眼鏡とタブロー的なエロティシズム。美術館でのシークエンスのラスト、シーツの絵。
列車とか飛行機とか車とか、乗り物の窓から切り取られる風景にジャームッシュはこだわりがあるのでしょうね....
そういう美術館的なシチュエーションでの。ミステリー・トレインでのホテルもそうだし、ナイト・オン・ザ・プラネットのタクシーとか。

というわけでジャームッシュの茶目っ気というか遊び心が楽しめました。「自分こそ偉大だと思う男」ビル・マーレイの住む城塞へしかも煌々とサーチライトがひしめく中を主人公イザック・ド・バンコレがドルガバの鯖色スーツのまま乗り込むあたり。そりゃお前バレるだろ(笑) しかもどう乗り込んだかは、マーレイにも観客にも「想像力に」任せられたわけだし。
そういう、すっと身を引いた表現には心惹かれるものなのです。

October 11, 2009 in films | | Comments (3) | TrackBack

03/15/2009

「チェンジリング」はイーストウッドの仕事のひとつに過ぎない。

イーストウッドの最高峰は「サンダーボルト」('74年、マイケル・チミノ監督)なわけで、最近の「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」はエンタテイメント性にも溢れ、考えさせられることも多いヘヴィな作品だったけど(硫黄島2部作は未見)例えばアルトマンやポール・ハギス(監督)の作品のように構成を楽しめる作品ではないしもう一度観たいと思わせる何かを持っている作品でもない。

結局は、ハリウッド映画の枠を出ることはなく、愛国主義者の幻想の拡大を主導しているだけのことだ。「許されざるもの」以来、物語表現(語り口)の磨かれ方は尋常ではないが、映画は映画でしかない、という諦観もそこかしこに滲んでいるように思える。それは多分イーストウッドがドン・シーゲル、あるいはセルジオ・レオーネを師と仰いできたことの因縁であるような気もする。

で、「チェンジリング」。主役はアンジェリーナ・ジョリーだし(アンジェリーナ・ジョリーの出演作はDVDで「17才のカルテ」「Mr. & Mrs. スミス」をちらっと観ただけ)、食指の動く要素は何もひっかかってこない。それ以前にここ数ヶ月映画からずっと離れててこの映画に関する情報は主役が彼女というだけで監督が誰なのかも知らなかった!

それをなぜ観る気になったのか。ネット某所で「チェンジリング」に関しての、黒沢清の吐露めいたものを読んだから、でした。

「イーストウッドは小津安二郎に近づいているのではないか。
イーストウッドがただ一人小津安二郎に近づいているとしたら、映画はいま正に黄金時代を迎えようとしているのではないだろうか」

という文章。
それがまさに正解なのかあるいは大いなる勘違いなのか、確かめなきゃ、と衝動的に。

結局、クリント・イーストウッドはクリスティン(アンジェリーナ・ジョリー)の最後の台詞「希望」という言葉をどう表現するかに心を砕き、綴り続けることしかできない映画作家だ。それを導く物語表現においてはちょっと他に追随を許さない、ソフィスティケイトされたものを持っているのは確かけど、少なくとも必死に社会を生きている者に必ずついてまわるはずのシニカルさが欠落していて、人間存在を見つめる部分ではどうも茫洋としてしまう。テーマが先行し、醜悪さが描かれる部分では「ミスティック・リバー」同様、「この辺までにしておこう」というスタンス。たぶんそれがイーストウッドという人間の優しさなのだろうけど。

黒沢清が呟いた「小津安二郎」と「黄金時代を迎えようとしている」という言葉は、この映画の美術と衣装、メーキャップについてのことだったのだろうかと少し気が抜けた感じです。

Chenge 殺人犯役のジェイソン・バトラー・ハーナー怪演。アル・パチーノ主演の「セント・オブ・ウーマン」での、フィリップ・シーモア・ホフマンという役者を初めて見た時を超える衝撃でした。
良心的な刑事を演じたマイケル・ケリー、王道的な配役だったと思います。
撮影のトム・スターンは、イーストウッド組の金字塔的仕事だったのでしょうか。あの時代の空気はこういうものか、と楽しめました。

 

March 15, 2009 in films | | Comments (2) | TrackBack

12/28/2008

ブロークン・イングリッシュ

ソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」、あるいはリチャード・リンクレイターの「恋人までの距離」の系列に並ぶ作品、なのでしょうか。
ゾエ・カサヴェテス自身相当悩んだらしい脚本はそれなりには熟れていると思うし、手持ちカメラの微妙な揺れは主人公ノラ(パーカー・ポージー)の心象をうまくとらえていたと思う。
だけどいかんせん、ネタがありきたりでそれを何とか他作品と差別化しようともがいている焦りが見えてきている、というか。等身大の女性を描いたB級恋愛映画の王道をいく展開だったけど、その程度で良かったのかゾエ?とう印象。結末は前半から見えてしまったし。

Brokenenglish02 ただ、演出は確かだったと思います。
ノラのアパートで、ジュリアン(メルヴィル・プボー)が二つのコップに水を、無駄にこぼさないように汲むシーンはジュリアンの性格を的確にとらえていたし、親友オードリー(ドレア・ド・マッテオ)が、パリで浮気に走った後(ひどい結果に終わったらしいけどこの浮気の詳細は語られない)、ホテルに戻ってパウダールームで悲嘆に暮れそうになるのを必死で抑えつつ指輪を嵌め直すシーンには痛みを感じられたし、部分部分でその演出力にはっとさせられました。

ジーナ・ローランズはこれはもう怪演でした。息子ニックが演出した「君に読む物語」よりはずっといい。ゾエの映画監督としての出発に対してごく自然な愛情が感じられて、観ているこっちは自然頬が緩む。
主人公を演じたパーカー・ポージーについては今まで出演作を何本か観てきているはずなんだけど全然記憶になくて、これでやっと覚えられたか(笑) バーバラ・ハーシーあるいはジュリエット・ルイスを彷彿させる容貌で、好きな人はめっちゃ好きな女優なんだろうな。

カサヴェテス父の「フェイセズ」をまた観たくてたまらなくなりました。

 

December 28, 2008 in films | | Comments (0) | TrackBack

09/21/2008

「TOKYO!」

レオス・カラックス9年ぶり。次は何年後になることか。

どうしてまたミシェル・ゴンドリー、カラックス、ボン・ジュノの3人?ってコラボ。ボン・ジュノの過去の作品は未見なので決めつけられないけど、プロデューサーのいったいどういう好みよ?って思いますよね。少なくともゴンドリーとカラックスってどこにも相容れるものが無い。「恋愛睡眠のすすめ」と「ポーラX」のどこに?それを、ボン・ジュノがどう媒介している?

案の定、「東京」 ってコンセプトがあっただけのオムニバスでした。それぞれに楽しめたのですけど、まあむしろカラックスひとりに "メルド" 短編3本をやってもらう方がよっぽど... というオムニバス。オムニバスって形態を悪用しているだけとしか思えない。少し形態は違うけど、近年のオムニバス映画の最高峰、イニャリトゥの「アモーレス・ペロス」に比べればオコチャマのままごと的完成度でした。

で、まずゴンドリーの「インテリア・デザイン」。これはこれでゴンドリーらしく、この世代の空気を掬い取る手腕はさすが、と思わせて軽妙、ナイーヴ。主人公藤谷文子のゆらぎの描写がリアルでした。いい女優さんですね。加瀬亮っていうのはよくわからないのですけど、それはまたゴンドリーの狙いの範囲内だったのでしょう。個人的には大森南朋に期待していたのですが、チョイ役で残念。

カラックスの「メルド」。9年も沈黙していたわりには「ポーラX」と何も変わりないですね。「ポンヌフ」から「ポーラX」までたどり着くのに8年かかっていますから次はそれ以上なんでしょうか。Carax02
カメラマンのジャン=イブ・エスコフィエに去られて以来映像美としてカラックス作品を楽しめることはなくなったけど、「ポーラX」からの土臭い、なんとなくロシアっぽい質感は健在。「ノートルダムのせむし男」を思わせるドニ・ラヴァンの役作りには感服させられるし、カラックスの自分自身の自嘲めいた告白を見当違いの物語に被せた神経症的な作りにも笑えるところはある。なんでまたカラックスほどの作家がこんな...という結果にはなったけど、「映画を撮るという行為は、きわめて個人的なものだと思っているんだ」とさらっと言うだけあって天上天下唯我独尊的な、たとえばジョナス・メカス的なそれとはかけ離れた極北をいつかまたきっと見せてそれはそれで楽しませてくれるのだろう、と期待しておく。
カラックスファンのスタンスはちょっと独特なんである(笑)

3本目、ボン・ジュノの「シェイキング東京」。普通だったらこの短編が一番面白かったかもしれない。香川照之は武田鉄矢が憑依したとしか思えない力の入りっぷり。竹中直人は、ボン・ジュノによっぽど気に入られているんだろうな、もう、好き勝手し放題の暴走っぷり。ディテールの作り込み方が引きこもり青年という設定らしく、整然と積み重ねられたデリバリー・ピザのケースがひとつだけ逆さまになっていることを蒼井優に指摘されるシーンとか、数年ぶりに外に出てツタの絡まる自転車を引っ張りだそうと苦闘するシーンとか、ほんとアジアの映画青年の短編だなあと笑わせられた。
だけど、それだけなんですよね。蒼井優という女優の演技を初めて観たのだけど、これだけ監督の意図に適った、一瞬の目の動きとかで空気を作れる演技をしているのに、もったいないなー、と。この枠内ではこうするしかなかったということなのだろうし仕方ないとはいえ。引きこもり青年の恋の行方は最後まで描写されて然り、の題材じゃないかと思うのですけどねー。
残念。

 

September 21, 2008 in films | | Comments (0) | TrackBack

07/27/2008

オーケストラの向こう側ーーフィラデルフィア管弦楽団の秘密

自分の個性を出したい、けど、(オーケストラという)構成の一部であることに徹さなければならない、その相克にオーケストラ音楽の個性と醍醐味がある、というようなことをコンサート・マスターらしい David Kim 氏が言っていたけど、集団芸術って、みんなそうなのでしょうね。バレエしかり、ダンスしかり。そういう意味では僕みたいなド素人は当然ソロに目がいくばかりであれなんだけど、なんとか違いがわかるようになりたいもの。Fil

フィラデルフィア管弦楽団の団員たちに自由に語らせたドキュメンタリーエッセイで、エピソードのひとつひとつは興味深いし楽しめる。それだけに構成的には取りつく島のない映画で、大団円に向かっていく高揚感などいっさい期待できない。撮影にしても、たとえば NHK のクラシック番組観て勉強しろよとグチのひとつもこぼしたくなる下手っぷり。ブラームスの1番、ベートーベンの3番の演奏風景など、もう救いようがない。最初からビデオプロジェクター上映のつもりならこの程度に堕してしまうのでしょうかね。
今年春先だったか、カラヤン生誕100年記念の番組で観た、カラヤン自身が後世のために残した演奏風景と比べたらもう、雲泥の差、どころじゃないです。ひどい。

でもまあさすがに、サバリッシュが妻を亡くして復帰直後にフィラデルフィアを振ったとき、とある団員は何の先入観もないピュアなメンタルで臨んで演奏し、ものすごいカタルシスを覚えたのに対し、サバリッシュ同様近親の死にあったばかりの団員は演奏することで逆に増幅されて悲しみのどん底に突き落とされてしまった、というエピソードには音楽の持つ不思議な力に、畏敬の念を云々。
って大げさなことでもないのだけど、聴く人によっても様々でいいんだよね、ということを確認できました。

あと、若いホルン吹きが体力と肺活量をつけるためにマラソンを続けている、というエピソード。なんと 2時間42分で完走。いやはやそこまでやるのかオーケストラ団員。トレーニングしている最中いつも15マイル付近で訪れるランニングハイの状況をとても幸福そうに説明していたけど、このときにバックに流れていたのがバッハの無伴奏チェロ第1番。これがハマった。エンドルフィン湧出の至福感にピタリときました。
案外、ジョギング向きなのかもしれません、バッハ。いつか試してみたい。

July 27, 2008 in films | | Comments (0) | TrackBack

05/04/2008

「最高の人生の見つけ方」

モーガン・フリーマンにジャック・ニコルソン。べたべたハリウッドだけど監督がロブ・ライナーということで食指が動く作品。
とはいっても1986年の『スタンド・バイ・ミー 』と1989年の『恋人たちの予感』しか観ていないのだけど。

ひどい邦題。"THE BUCKET LIST"(話の中では「棺桶リスト」と訳されている)がどうして『最高の人生の見つけ方』になるんだ。同じような邦題はあるけど内容の通りに「死ぬ前にやっておきたいいくつかのこと」とかのほうがよっぽど、という気がする。どこかにネガティヴさを入れるほうが伝わるものはあるはず。

Bucketlist それはそれとして(笑)、なんというか、案の定、愛すべき掌編といった趣の作品。脚本がとてもこなれているし、この手のほろりとさせるコメディでジャック・ニコルソンが外すわけもない。
それと、モーガン・フリーマンが最近にないちょっと凄い演技をしている。それは観てのお楽しみなんだけど、映画『セヴン』の中で、ダイナーに呼び出されてグウィネス・パルトロウに深刻な相談を持ちかけられたときのフリーマンを超えている。

あと記憶に残るのはニコルソンの秘書役を演じた Sean Hayes。妙演。味があります。

 

May 4, 2008 in films | | Comments (0) | TrackBack

04/05/2008

映画バトン。

subterraneanさんの「地下生活者の日記」でのバトンを受けて。回ってきたわけじゃないのですが、「ここまで読んでしまった方に。」ということだったので、せっかくだし。考えるだけで楽しそうなお題でしたし。
で、早速。

1.生まれて初めて劇場で見た映画は?
 「101匹わんちゃん」

ウォルト・ディズニー・クラシックス DVDセレクション
ブエナ・ビスタ・ホームエンターテイメ?塔g
発売日:2000-11-17

シリーズものとしていろいろ出ているようだけど、どのバージョンだったのか定かではありません。70年代なかばのことなので、たぶんオリジナルの「101匹わんちゃん」だろうと思う。
アニメーションはほとんど観てませんが、不思議にピクサーは今でもよく観てます。

2.一番最近劇場で見た映画は?
「サラエボの花」

サラエボの花
アルバトロス
発売日:2008-06-06

祝・イビチャ・オシム元日本代表監督、退院。

3.最近DVD(ビデオ)で見た映画は?
 「勝手にしやがれ」

勝手にしやがれ デジタル・ニューマスター版
ハピネット・ピクチャーズ
発売日:2006-05-26

ストーリーはわかっているから、ファッション雑誌的に観てみても楽しい。カット割りの呼吸がたまらない作品。

 

4.一番良かった白黒映画は?
 「8 1/2」

8 1/2 愛蔵版
IMAGICA TV
発売日:2008-05-31

ルビッチ、F.ルムナウ等無声映画から選んでも良かったけど、なるたけ見る機会に恵まれ易い映画でってことで。王道ですが、もう、無比の構図のこの作品。
あと、モノクロだからこそジャンヌ・モローの「エヴァの匂い」「突然炎のごとく」「危険な関係」あたりも印象的。

5.一番良かったアクション映画は?
 「レザボアドックス」

ダイ・ハードと迷ったのですけど。

6.一番良かったロマンティック映画は?
 って、恋愛映画、ってことですよね?
 「汚れた血」

汚れた血
ショウゲート
発売日:2007-05-25

この作品の後に続く恋愛映画はまだ出ていない気がする。疾走感に、酔う。
タランティーノの「トゥルー・ロマンス」も遠い。

7.一番良かったアニメ映画は?
 「トイストーリー」

トイ・ストーリー
ブエナ・ビスタ・ホームエンターテイメント
発売日:2000-11-02

ピクサーの底力を見せつけられた。

8.一番良かったミュージカルは?
 「オズの魔法使い」

オズの魔法使 コレクターズ・エディション
ワーナー・ホーム・ビデオ
発売日:2005-11-25

いまでもジュディ・ガーランドのレコードは聴いてる。

9.旅をしたくなる映画は?
 「フィツカラルド」

フィツカラルド
東北新社
発売日:2001-09-26

ヴェンダースの「パリ、テキサス」と迷いましたが、アドレナリン出まくりのヘルツォーク作品を。旅映画というより、冒険映画ですが。文字どおりどこかへ飛び出していきたくなる映画。

10.見るとお腹がすく映画は?
 「バベットの晩餐会」

バベットの晩餐会
ポニーキャニオン
発売日:2000-04-19

ディネーセンの原作も豊穣。本当に美味しいものを食べる時は人は無言になるんだと再確認。

11.泣きたい時に見る映画は?
 わざわざ泣きたい時に映画なんて観ない。

12.途中で止めた映画は?
 少なくとも劇場で途中退出した映画は記憶にない。

 

13.元気が出る映画は?
 「マグノリア」

ポール・トーマス・アンダーソン、この作品で昇華したわけじゃない。まだ進化している!

14.何回でも見れる映画は?
 「ブレードランナー」

いやもう、実際何度観たことか。

15.絶対に薦めない映画は?
「ストレイト・ストーリー」以外のD.リンチ作品すべて。
僕は好きだけど、観るといいよ、なんて言えない。

 

16.今まで観た映画で一番怖かったのは?
「吸血鬼ドラキュラ」

吸血鬼ドラキュラ
ワーナー・ホーム・ビデオ
発売日:2007-10-12

クリストファー・リー。小学生の頃TVで観たのだけど、もう恐くて自分の部屋に戻ることもできなかった。

17.人生の勉強になる映画は?
「ノスタルジア」

ノスタルジア
パイオニアLDC
発売日:2002-11-22

タルコフスキーならあるいは「アンドレイ・ルブリョフ」。人生の勉強になる、というより、インスピレーションに満ちた作品。
同じような意味で。ベルイマンの「ファニーとアレクサンドル」。

18.好きな映画のジャンルは?
普通に、ドラマかな。スパイク・リーとか。自分のリズムを持つ作家は、いつも気になります。

 

19.サントラが好きな映画は?
 「死刑台のエレベーター」

死刑台のエレベーター
紀伊國屋書店
発売日:2006-06-24

マイルス・デイヴィスの、爛れたようなトランペット。最近では同じくマイルスの "Spanish Key" が使われた、マイケル・マンの「コラテラル」も印象的。

20.次にバトンを回す人は?
どなたでも、最後まで読んで下さったかたに(笑)

 

April 5, 2008 in films | | Comments (2) | TrackBack

03/23/2008

「黒い家」ブロガー試写会。

Blackhouse
梅田の角川事務所でのブロガー試写会にて。
ソウルフル・ダークネス、とでもいうか。韓国映画なだけに。

貴志祐介の原作も、森田芳光の映画化作品も僕は未経験。監督シン・テラはこれで劇場デビュー。韓国映画は過去に2本しか観てないので、知っている俳優もいない。サイキック・ホラー、あるいはバイオレンス・スリラーということだけが前情報。原作は、保険金殺人の話。
始まって最初のほう、主人公が歩くさびれた田舎の暗く湿度のある空気は、人間の心の底にあるどろりとしたものを透かして伝え、素晴らしい。

が、サイキック・ホラー、あるいはバイオレンス・スリラーとしては弱かったように思う。
後半、タメをきかせた演出が作る、「シャイニング」で感じるような緊迫感はある。事件の本当の首謀者が分かってきたあたりからの仕掛けは予測もつかない。まさかそんな、の展開で畳み掛けてくる。いや、こんなんで驚いている場合じゃないんだよ、というような。
併せて、いろいろな過剰さがある。噴出するものを逆に抑え込もうとする演出の過剰さ、抑えた演技の中にちらちら見える過剰さ、スプラッター的な部分での過剰さ。
エンタテイメントでありながら、この過剰さがなにか、鼻につくような気がした。それは、物語を語る力の弱さだと感じる。

森田の作品が評価されたのは(観てなくてもたぶんそうなんだろうなと推測されるのだが)、結局物語を語る力によるものなのだろう。映像でみせるのだったら、いっそう脚本が練れていないと観客はついてこない。
スプラッターの力を借りた演出(R15指定なだけに)なので仕方ないのかもしれないけど、その辺が不満といえば不満。

公式サイト→「黒い家

 

March 23, 2008 in films | | Comments (0) | TrackBack