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06/06/2006

脱日本的なプレーヤー。

『個を見つめるダイアローグ』で村上龍と対談した伊藤穣一氏がブログで書いている。
ちょっと長いけど引用。

ちょっと視点を「外側」に置けば、日本の文化は世界の人から注目を集めていることはよくわかります。日本の製品やブランドには相変わらず高い評価があるし、坂本龍一さんのように、世界各国で厚い支持を集めている日本人アーティストもたくさんいます。しかしその一方で、「内側」にこもりつづける日本人が相変わらず多いのもたしかです。

一つは、先にも述べたコミュニケーション力の問題があるでしょう。そしてもう一つ、あえて言うとすれば、自ら考え、ときには権力に異を唱える覚悟。それが、いまの日本人には欠けてしまっているような気がしてならないのです。自らの視座をもって「外側」の人間とも対話を重ねることは、自立した国をめざすうえでも、自立した「個」を確立していくうえでも、欠かせないことはいうまでもありません。

世界的な視点で物事を考える習慣を多くの日本人がもたないまま、一方では日本の文化や製品は高い評価を受けている。このゆがんだ構造を修正していくことが、これからの日本にとっては、とても重要なのではないかと思います。

今のW杯日本代表の中で「自ら考え、時には権力に異を唱える覚悟」を持つプレーヤーは中田英しかいないだろう。あるいは宮本もそうかもしれないけど経験値が中田とは絶対的に違う。「自らの視座をもって『外側』の人間とも対話を重ねる」ことのできるプレーヤー、というのも宮本にもあてはまりそうだけど、「自らの視座」という部分においてアジアの中ではそれができることを証明してもワールドワイドに通用する視座を確立しているとは限らない。

もし中田でなければ、中村俊輔でも小野でも高原でも大黒でも稲本でもなく、ましてや宮本でもなく、今回の代表に入っていない松井大輔ひとりがそれをできているような気がしてならない。自らを脱して「世界的な視点で物事を考える習慣」を松井は生来持っているように思うのだ。いや、世界的なというよりむしろ、日本の枠にははまらない独自の視点で松井はゲームを俯瞰している。
小野は、どうだろう、性格的に松井に近いと思うけど、プレーを楽しんでいる部分において、『外側』の人間と対話することはできるだろうけど、世界に対峙できる視座を持ち得るようなキャラクターではないように思える。
どうだろう?

June 6, 2006 in football |

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