« 『パフューム』はB級コメディか? | Main | 王者、ずさん。 »

02/19/2007

『善き人のためのソナタ』

まっすぐな、いい映画だったと思う。
ホーネッカーの全体主義の下、市民が常に国家監視の状況にある緊張感の中で息の詰まる生活を強いられた時代の、東欧らしい淡いブルーグレーの色調がそのまま物語のトーンになっている。登場人物たちのいろいろな思惑が交錯する、静謐で、骨太な物語。ドラマティックな演出は皆無だけど、横糸に恋愛感情が絡み、置かれたぎりぎりの状況の中での登場人物たちの苦悩の描写はスリリングでさえある。

題材はヘヴィだけど、ところどころユーモアもある。無表情な国家保安省局員を演じたウルリッヒ・ミューエの微妙な表情の変化に僕らはそのユーモアをたどることができる。また、国家監視の手先という立場に立つ者が、劇作家と舞台女優という芸術家カップルの生活を(反体制であることの証拠をつかむために)盗聴することで逆に自分の中の何かが変わっていくという人間的な魂の揺らぎをも、ミューエの眼差しにたどることができる。
そういう幸福感。

たとえば劇作家のアパートからくすねてきたブレヒト(ある意味「西側」の象徴)の詩集を読んでいるときの表情もよかったが、白眉はラスト近く、ある出来事を目前にしてその無表情があまりの哀切さのために破綻してしまったときと、ラスト、書店員にギフト包装しますか?と訊かれて「いや、それは私の本だから」と何のこだわりもしがらみもない清々しさに満ちた表情を見せたとき。 
もしこの主人公ををピーター・セラーズが演じていたら...なんてことをふと思った。いや、それだけ絶妙の演技だったということだけど。釘付けになった。

その忌まわしい過去を、後世になんらかの形で遺していかなければいけないという責任を思うより、いつまたあんな世界に逆戻りしてしまうんだろうという恐怖の方が先に立つ。その恐怖心がある限り大丈夫だとは思っても、33歳でこれを監督したフロリアン・フォン・ヘンケル・ドナースマルクが「国家保安省」を取り上げたその勇気のことを記憶しておかなければと思っても、所詮人間だ、何度でも飽きずに繰り返すのだろう。世界にそういう可能性のある舞台はまだ残っているのだから。
逆に、また「そのとき」が来てしまうなんてことがないようにこういう映画が存在するのだろうし、意味があるのだろう。レーニンにとってベートーベンのピアノソナタ第23番がそうだったように。

Sonate

オフィシャル

 

February 19, 2007 in films |

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
https://www.typepad.com/services/trackback/6a0120a841e0c2970b01287744cee3970c

Listed below are links to weblogs that reference 『善き人のためのソナタ』:

» 『善き人のためのソナタ』 from 小さな花ひとつ
『善き人のためのソナタ』フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督。梅田シ [Read More]

Tracked on 20 Feb 2007 09:05:08

» 『善き人のためのソナタ』とメロドラマ from Days of Books, Films
蛍光灯の青白い光に照らしだされた灰白色の壁と青ざめた顔。この映画を貫いているの [Read More]

Tracked on 20 Feb 2007 16:20:12

» 善き人のためのソナタ from 映画のメモ帳+α
善き人のためのソナタ#8194;(2006 ドイツ) 原題   DAS LEBEN DER ANDEREN       (あちら側の人々の生活)      監督   フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク    脚本   フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク        撮影   ハーゲン・ボグダンスキー          音楽   ガブリエル・ヤレド      出演   ウルリッヒ・ミューエ マルティナ・ゲデック       セバスチャン・コッホ ... [Read More]

Tracked on 20 Feb 2007 19:33:38

» 善き人のためのソナタ from 週末映画!
期待値: 100%  ベルリン崩壊前の東ドイツが舞台。 物語は淡々と進んでいきますが、そこにある言葉 [Read More]

Tracked on 20 Feb 2007 23:34:51

» 「善き人のためのソナタ」映画感想 from Wilderlandwandar
「囚人番号227番取り調べ室へ入れ」「ボクはやっていない」「正直に話せ」「ボクは [Read More]

Tracked on 21 Feb 2007 22:36:34

» 『善き人のためのソナタ』 from かえるぴょこぴょこ CINEMATIC ODYSSEY
芸術は偉大。心にソナタが鳴り響く。 気高さと重厚さと深みを持ち合わせた名品。 1984年、東西冷戦下の東ベルリン。国家保安省(シュタージ)局員のヴィースラーは、劇作家のドライマンと舞台女優である恋人のクリスタが反体制的であるという証拠をつかむよう命じられる。しっとりと静かにうたいあげられる上質な大人の映画。こんな作品をつくることのできるドイツという国が大人なんだなぁ。映画化することはタブー視されていたに等しいほんの十数年前まで蔓延っていた暗部を題材にして、その体制下で起こっていたことの恐ろし... [Read More]

Tracked on 23 Feb 2007 10:39:57

» 善き人のためのソナタ from とにかく、映画好きなもので。
 その曲を本気で聴いた者は、悪人になれない。  1984年の東西冷戦下のベルリン。DDR(東ドイツ国家)は、国民の統制と監視システムを強化。  当時、国家保安省(シュタージ)のヘムプフ大臣は、劇作家ドライマン(セバスチャン・コッホ)の....... [Read More]

Tracked on 24 Feb 2007 14:40:38

» 【劇場映画】 善き人のためのソナタ from ナマケモノの穴
≪ストーリー≫ 1984年、東西冷戦下の東ベルリン。国家保安省(シュタージ)局員のヴィースラーは、劇作家のドライマンと舞台女優である恋人のクリスタが反体制的であるという証拠をつかむよう命じられる。成功すれば出世が待っていた。しかし予期していなかったのは、彼らの世界に近づくことで監視する側である自分自身が変えられてしまうということだった。国家を信じ忠実に仕えてきたヴィースラーだったが、盗聴器を通して知る、自由、愛、音楽、文学に影響を受け、いつの間にか今まで知ることのなかった新しい人生に目覚めていく。... [Read More]

Tracked on 28 Feb 2007 23:18:49

» 善き人のためのソナタ from Alice in Wonderland
観ようかどうかを迷っていた作品ですが、アカデミー賞の外国語作品賞を獲得した事も後押しして梅田の空中庭園まで足を運びました。 1984年、東西冷戦下の東ベルリン。国家保安省(シュタージ)局員のヴィースラーは、劇作家のドライマンと舞台女優である恋人のクリスタ...... [Read More]

Tracked on 2 Mar 2007 01:32:29

» 映画:善き人のためのソナタ from 駒吉の日記
善き人のためのソナタ(シネマライズ) 「この本を<HGW XX/7>に捧げる」 (原題:DasLebenDerAnderen (The Lives Of Others))協力者10万人、密告者20万人。 体制維持のためにこれだけの人員と労力をかけていたのは本当に末期症状だったのだろうな、と思いました。でも... [Read More]

Tracked on 2 Mar 2007 13:11:24

» 「善き人のためのソナタ」 from the borderland 
ベルリンの壁崩壊前の東ドイツというと「グッバイ・レーニン!」があります。壁が崩壊してからの変化に戸惑う普通の人たちを、せつなさとユーモアで包み、主人公の親を想う気持ちに熱いものがこみ上げてくる作品でした。 今作は、同じ時代の物語でありながら、また違った東ドイツの一面を見せてくれた。徹底した監視態勢で東ドイツ国民をまさに管理していたシュタージ(国家保安省)の仕事っぷりにスポットを当てている。また優秀な職員ヴィースラー(ウルリッヒ・ミューエ)が劇作家ドライマン(セバスチャン・コッホ)と恋人で舞台女... [Read More]

Tracked on 3 Mar 2007 12:01:43

» 善き人のためのソナタ−(映画:2007年104本目)− from デコ親父はいつも減量中
監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク 出演:ウルリッヒ・ミューエ、マルティナ・ゲデック、セバスチャン・コッホ、ウルリッヒ・トゥクール、トマス・ティーマ、ハンス=ウーヴェ・バウアー、フォルカー・クライネル、マティアス・ブレンナー 評価:9...... [Read More]

Tracked on 18 Sep 2007 00:40:17

Comments

うーむ、ピーター・セラーズですか。マジメ(?)に演ずれば演ずるほどやはりブラック・コメディになってしまうんでしょうか。たしかにウルリッヒ・ミューエにはピーター・セラーズを思い起こさせる茶目っけが潜んでいたように思います。ある瞬間を境に「善人」に見えてしまうからすごいですね。

Posted by: | 20 Feb 2007 17:12:05

>雄さま
茶目っ気、ありそうですよね、ミューエ。
セラーズにはブラックでない作品でも『チャンス』がありましたからね。無口な善人を演じるのにはうってつけだと思うのですよ(笑)

Posted by: kiku | 20 Feb 2007 22:49:13

コメントありがとうございました。

他の皆さんのブログを見ても、よさそうです。
ドイツ映画はあまりなじみないのですが、あなどれません!

文章下手の私からしたら、映画のブログを書いてる皆さんをすごいと思います。
なので、私はこんなブログをしてます。

これからも参考にさせてもらうかもしれませんが、よろしくお願いします。

Posted by: ロイ from 週末映画! | 25 Feb 2007 23:19:05

>ロイさま
ドイツはほんと、最近観ないですね。ヘルツォークがこの映画を絶賛してましたけど、その本人の作品が2002年以来観れないのが寂しいところです。
資金を含めた製作環境が良くないのかもしれませんね。
なにはともあれ、アカデミー賞獲得、おめでとうございます、ですね。

Posted by: kiku | 27 Feb 2007 20:36:10

こんにちは。
大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。
映画「善き人のためのソナタ」もとりあげています。
よかったら、寄ってみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611

Posted by: kemukemu | 9 Mar 2007 22:54:27

>kemukemuさま
ブログ拝見しました。
写真の、インクの色調が雰囲気ですね。昭和を感じさせるような。
こちらもコメントさせていただきます。

Posted by: kiku | 13 Mar 2007 19:14:08

The comments to this entry are closed.