「カイト・ランナー」カレード・ホッセイニ(追記あり)
読書の幸福とはこれだ。ディネーセン小説の読後感にも似た豊穣。とにかく文章が端正で読みやすい。
この小説は映画化された(2月9日公開)。先日「サラエボの花」を観に行った時、予告編が出てきたのでびっくりした。タイトルは「カイト・ランナー」ではない。小説の中での重要な台詞(キーワード)をタイトルにしている。ので、もはやネタバレもクソも一緒になってしまった。そのキーワードは、「君のためなら千回でも」。(マーク・フォスター監督)
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この台詞がどういうシチュエーションで使われるのかはとても書けない(でも映画の方の予告編ではそのシーンがしっかり出ちゃっているんだよね)。読んでのお楽しみ。もうひとつ、「あんたのためなら、千回でも」というのも出てくる。主人公(私)の状況的には、こちらのほうがグッとくるものがある。
帯の文章を紹介。
12歳の冬、わたしは人を裏切り、嘘をつき、罪を犯した。
26年後、「もう一度やり直す道がある」という友人からの電話にカブールへ旅立つー。
自らを救う道を真に問う、心を揺さぶる救済の物語。
1970年代半ば以降のアフガニスタンの歴史に沿ってこの物語は展開する。著者のカレード・ホッセイニは1965年カブール生まれ(ベイエリア在住)だけに、ソ連侵入以前の、子供が子供らしくあった幸福なアフガン、タリバン侵入後の、荒廃しきったカブールの街の描写力が的確なんだろう、もう、情景がリアルに迫ってくる。
僕はずーっと堪えていたけど、一度だけ、堪えられなかったよ。
邦題は原題通りではなく、直訳の「凧追い」で良かったんじゃないかと思う。その方が実感として馴染むものがあったと思うのだけど。
それにしても、2006年翻訳が出たばかりなのに、中古で5,000円って....
●追記
1月8日付けの町山智浩のブログエントリ「君のためなら千回でも」で、小説が改題されていたことを知った。映画にあわせて変えられてしまったんですね。それなら5,000円の謎も解ける。「カイト・ランナー」が絶版になった、ってことなのだろう。それならしかたない。
しかし映画の原題は元の小説のまま、"The Kite Runner" だ。配給会社は原作をしっかり読んでタイトルを決めたのだろうけど、それで「君のためなら千回でも」じゃあ、あざとすぎるような気がする。商売根性まるだし。原作のことを何も考えなければ、そりゃ「君のためなら千回でも」のほうが(特に原作を読んでいない)客に訴えるものは大きいに決まっている。
でも、この作品を象徴するのは「凧追い」だ。そのタイトルの持つ意味の深さと広さを見失っていやしないか?
あと、アメリカでこの映画が公開直前に公開延期になったのだけど、その理由に絶句する。
主役の少年たちを演じたアフガニスタン人の子役の家族が「このまま映画を公開しないで欲しい。我々は殺されるかもしれないから」と訴えたからだ。
January 7, 2008 in books | Permalink
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