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01/06/2008

「サラエボの花」

この映画の舞台となった地域に生まれ育ったイビツァ・オシムも公式HPにメッセージを寄せている。

我々、グルバヴィッツァの住人は、かつてサラエボのこの地区が、すべての者がともに共存し、生活を営み、サッカーをし、音楽を奏で、愛を語らえる象徴的な場所であったことを決して忘れない。我々はいまだに、そのような場所で紛争という悲劇が起きたことによって、殺戮や武装兵士による集団レイプ、諸々の憎悪に満ちた行為が繰り広げられたことを信じがたいと同時に、この様な事実を決して忘れ去ってはならない。グルバヴィッツァはいつの時代でも、慈愛深い人、スポーツ選手、インテリといった偉大な人々を生み出して来たが、他の場所からやってきた野蛮な悪人たちによって汚され、服従されようとされてしまった。しかし、この先もグルバヴィッツァの精神は生き続けるだろう。グルバヴィッツァとそこに生き続ける精神はそう生易しくかき消されることはない。(参照

このメッセージだけで、この映画の「意味」はすべて説明されていると思う。でもこの映画はそれだけであって、それ以上のものはない。2006年のベルリン映画祭で金熊賞を獲得してはいるが、ボスニア紛争が残した心の傷痕と葛藤を描くのに、これが初監督だという女性監督ヤスミラ・ジュバニッチは主演女優のミリャナ・カラノヴィッチ(クストリッツァ組)ひとりに頼り切っている。
舞台はボスニアだ、背景の表現の仕方はいくらでもあるだろうに、ちょっともったいない気がする。
廃墟と化した建造物をもっと利用するとか、俯瞰で街をとらえるとか(唯一、ピクニックもどきのシーンは美しかった)、異なる民族間でのちょっとした諍いのシーンを挟むとか、空間的な広がりをもたせる演出法はまだいくらでもあったはず。
それがジュバニッチ監督のスタイルなら、それはそれでいいんだけど、この題材が根本に持つ息苦しさからは最後まで逃れられなかった。

でも、それがこの映画の持つ(あるいは監督が持たせたかった)使命なら、仕方ないかもしれない。Saraebonohana_02

January 6, 2008 in films |

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Comments

映画を語るのにオシムを引用し、その後ろの政治や歴史に目配りをする。いかにもkikuさんらしい語りですね。今年もそんなふうにしてたくさん映画や音楽やサッカーを論じてください。楽しみにしてます。

Posted by: | 7 Jan 2008 08:39:46

>雄さま
地理的に欧州に近接する地域の映画は気になります。土ぼこりにまみれたような色彩に惹かれるのでしょうか。トルコとか旧ユーゴとか。極端な話、「ダイ・ハード」のような映画を作らなくても身近な歴史に沿ってそれ以上の映画を作ることのできる地域の表現は強いですよね。

Posted by: kiku | 8 Jan 2008 12:53:25

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