ドラゴン・タトゥーの女、デヴィッド・フィンチャー。
「ミレニアム」3部作はこの年明けまでに全巻読み終えていたし、なによりフィンチャー作品なので昨夏から楽しみにしていた。カレン・O とトレント・レズナーの「移民の歌」の流れるトレイラーの小気味の良い編集っぷりにシビれてそれこそ矢も盾もたまらない感じ。もっともレッド・ツェペリンは全然聴いてこなかったのでそれが「移民の歌」のカヴァーだと知ったのはあとになって相方に教えられてのことだったけど。
ここまで原作(スティーグ・ラーソン)に忠実だとは、とびっくりしながら観ていたのだけど、このサスペンスのキーパーソンであるハリエットに関する結末だけが思い切り端折られた感じで、尺に収めるにはこう脚色するしかなかったのだろうなとちょっと笑えた。「ミレニアム」第2部「火と戯れる女」でもハリエットは相応に重要な役割を担って登場するから、そういう意味ではもしフィンチャーがこの続編を撮ることになれば、主人公たちの背景が導く小説独自の世界観そのままの映像化を期待する者にはちょっと厄介かもしれない。
小説は小説であって、フィンチャー映画は映画だし、続編以降は小説とは切り離して映像だけに集中した方がいいのだろうな。
デビュー作のエイリアン3から前作のソーシャル・ネットワークまでずっとそうだったように(「ベンジャミン・バトン」は未見)一貫して暗い色調で、といってそれ以外に例えばセブンのでのフィルム処理に見られるほど凝ったものがあるわけでもなく、他の北欧映画がそうであるように、単に光の屈折加減によるものだろうけど、スウェーデンの空気の青白さばかりが印象に残る。
変に演出過剰になってもいず、圧巻なのはそこはやっぱりフィンチャー、編集の人だなー、と再確認できた映画。
リスベット・サランデルが親愛の情を抱いていた後見人パルムグレンが脳梗塞で倒れたとき、見舞いに買ったのがボビー・フィッシャーの対局集であったりとか、あるいはミカエル・ヴィルムクヴィストがヘーデスタでの最初の夜、凍えながら暖炉に火をくべるときに1枚1枚破って燃やしていたのがヴォネガットの「国のない男」だったりとか、どちらも原作に無かったはずだし(無かったよな?...)、このあたりはフィンチャーの遊び心だろうか。
でも第2部「火と戯れる女」でリスベットがフェルマーの最終定理にハマった資質を、フィンチャーがボビー・フィッシャーに代えたのだとしたら、原作ファンはどう反応するのだろう。単にパルムグレンとチェスをするから、だけの理由だったのだろうか。
うがちすぎかな。
ダニエル・クレイグ、好演。他には007しか観たことないのだけど、いい役者だなー。
というわけで(たいした脈絡も無いけど)「セブン」DVDを10数年ぶりに観返してみた。
April 3, 2012 in films | Permalink | Comments (0) | TrackBack (0)