『セレブリティ』のリアリティ。
ウディ・アレン監督、脚本。出演はしていない。
ケネス・ブラナーが女癖的にどうしようもない主人公を演じている。主体性のなさは観てて悲しくなるほどで、優柔不断極まりない。ウディ・アレンが出演している映画の中で、アレン自身が役の中で実際どこまで自分を投影ししているのか知らないけど、この映画のケネス・ブラナーは他でもない、アレン自身だ。
あのしゃべり方!
でもそれは後から気付いたことで、最初これはフェリーニの『8 1/2』へのオマージュじゃないかと思った。ブラナーがマストロヤンニで、ブラナーの元妻を演じたジュディ・デイビス(怪演!)がアヌーク・エーメ。実のない思索に耽るばかりのマストロヤンニに対して、はなから思索もない軽佻浮薄のブラナーだけど、女癖の悪さと身勝手さは同じ。私生活での女癖の悪さがゴシップを賑わしたアレンらしい、あからさまで爽やかな(笑)な、自嘲をこめた演出だと僕は気に入った。
さらに冒頭、空に飛行機が描く「HELP!」のジェット雲は、マストロヤンニが夢の中で風船にくくりつけられ空に飛ばされていくファーストシーンを思い起こさせる。あるいは『カビリアの夜』の冒頭、ヘリが運ぶ巨大なキリスト像。
モノクロで撮ったのは大正解だと思う。色彩的な虚飾を取っ払ったら逆に、映画界を中心としたセレブリティの常軌を逸した生態が適度な湿度を持ってリアリティを帯びる。それは僕の記憶しているどんな内幕劇より人間的な優しさを伴っている。先日映画館で観た『僕のニューヨークライフ』でタクシーの運転手がかるくいなすように云った "It's like anything else" って台詞と同様に。
同じくモノクロで撮ったしっとりした『マンハッタン』もよかったけど、これもよいな。
と、調べてみたら『存在の耐えられない軽さ』『サクリファイス』のスヴェン・ニクヴィストの名前が! ベルイマン組の撮影監督をひきこんでいたとはね。よほど好きなんですね(笑) 89年の『私の中のもうひとりの私』から始まっている関係みたいです。
February 26, 2006 in films | Permalink
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