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01/15/2007

『わたしを離さないで』と『ブレードランナー』

わたしを離さないで

読んでいる間の印象は、アゴタ・クリストフの3部作とか村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 』の「世界の終わり」編、あるいはその原型となった『街、その不確かな壁』の基調低音がここにもあるな、というものだった。その静けさと冥さ(くらさ)が、である。あかるい未来はどこにも見えない。なんだかよくわからないけど、終末が約束されている人生をどう抗っても詮無いからという諦観のもとで淡々と生きている感じ。反逆しようにも、その対象がはっきりしない。「壁」は確かにそこにあるのだけど、何故それがそこにあるのか、それでどうすればいいのかわからない。理解しがたいけれども目前に厳然としてある事実を甘受せざるをえない宿命の前にうつむくしか術がない、というような。

カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』の中で、村上の『その不確かな壁』の「壁」に代わる対象とは体制とか世の中のあり方とかではなく、自分の出自にまつわるもっと根元的なものだ。人生には意味があるのか、あるいは自分はどうしてここにいるのかなどと考えてもどうにもならないようなことだ。
読み進めていくうちに設定の壮大さと深刻さに呆気にとられるけど、よく考えてみたら誰にとっても近しい問題でもあるのかもしれない。あり得ることだけどあってはならない世界を、イシグロは抑制の利いた筆致で描ききる。会話の端々にこの小説を解き明かすキーワードが見え隠れするけど、すべてを明るみに出すことはせず、クライマックスらしいクライマックスもない。恐らくイシグロにとってこの小説の中での状況設定はある問題提起のための手段に過ぎない。描くべきは主人公たちの心の動き、だったのだろう。
それでも読む僕たちは、臓腑の底から震えるものを感じることになる。そういうことなのかとおぼろに見えてくる状況設定に驚愕することになる。こうして問題は提起された。どうすればいいのか考えるのは僕たち読者だ。

読み終えるころ思い起こしたのは映画『ブレードランナー』のなかでのレプリカント(アンドロイド)であるロイ・バティとその天才開発者タイレル社長の会話だった。バティは4年の寿命しかないネクサス6型。その寿命を延ばし、あわよくば不死の命をとタイレルにせまる。

バティ :もっと生きたいんだよ、畜生!
タイレル:生命の現実だよ。有機体の生命システムを進行中に買えようとしてもだめだ。命取りになる。いったん設定されたコード・シークエンスは変更できないのだ。
            中略
バティ :抑制タンパクで細胞活動をブロックしたらどうなる?
タイレル:細胞再生の妨害にはならないだろうが、再生プロセスにエラーを生じさせ、その結果、新たに構成されたDNA連鎖は突然変異情報を伝達し、再びウイルスを作り出してしまう。すべては実験済みだ。....おまえは完璧にできている。
バティ :だが、寿命は短い。
タイレル:倍の明るさで燃える蝋燭はの光は、半分の時間で燃え尽きる。
バティ :わたしは問題のあることをやってきた....生命工学の神はおまえを迎え入れないだろうよ。
メイキング・オブ・ブレードランナー /ポール・M・サイモンより)

『わたしを離さないで』はそのあり得なさから、近未来小説なのだろうけど、同時代小説でもある。なんたって、タイトルにもなった "Never let me go" は、小説の中ではCDでもMP3でもなく、カセットテープに収められた曲なのだから。歌っているのはジュディ・ブリッジウォーターという歌手なのだけど、これは架空の人物らしい。

実際には同名曲ではスタンリー・タレンタインとかビル・エヴァンスの演奏があるし、ラヴァンヌ・バトラーも "A Foolish Thing To Do" のなかで歌っている。これはいい楽曲です。

A Foolish Thing to Do

January 15, 2007 in books |

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2006年度のベスト3シリーズ、最後は小説編です。相変わらず読書はもっぱら通勤電車の中なのでそれほど数は読めていませんが、去年は面白い本に結構出会えた1年でした。今回も何らかの形で昨年出版されたものに限って3点を挙げてみましょう。 1 カズオ・イシグロ『わたし..... [Read More]

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