幻肢と鍼。
『鍼灸の挑戦』のなかに幻肢についての興味深い記述があった。幻肢とは、事故や病気で失われた腕や脚をはっきり知覚する現象。今は無いその部分に痛みを感じたりもする(幻肢痛)。9歳未満の子供には見られない、つまり大脳皮質に身体像が形成される時期以降の発達をとげた成人にのみ認められる現象なのだけど、わかっていない部分が多い。
その感覚は鮮明で、「指も一本一本動くし、ないはずの指でコップをつかむこともできる。痛みも激しいもので、単なる気分ではない。」という。大げさな表現かとも思うけど、感覚的にはそうなのかもしれない。ちょっと違うが、不在であるというの存在の大きさ、なんて言われ方もする。正座して脚が痺れたときの感覚にある意味似ているのか。
で、幻肢痛に悩むある患者を治療した先生の話。無くなった手の親指と人差し指が交差する合谷というツボにあたる空間にはりをすることになった。「手があった辺りに経脈とそれを包み込む気の流れが感知できました。そこに合谷を探り、経脈の気を抜く方法ではりをしました」
結果は劇的で、古典に掲載されている経脈のルートに沿って変化が生じ、手の痛み(幻肢痛)も瞬時に取れたという。
空間に鍼をするなんて奇妙な光景だ。でもそれは僕が幻肢に悩むような立場にいないからそう感じることなのだろうけど。
ちょっと興味をもったので、ググってみた。
ミラーニューロンという神経細胞がある。映画を観ていて主人公に共感して感動して泣いたりするのはこの細胞の働きによる。他人のしぐさを見てそれを意識内で追体験していく、学習する能力にかかわるし、対象に自己を投影するためにはこれを活性化させないといけない。ミラーニューロンが普通に働かない人が極悪非道の犯罪を繰り返すのだろう、というのは極論かもしれないが、ひとつの基準ではないだろうか。
このニューロンを活性化させるための薬が発明され、それを実験してみたらどうなったか、という話が内田樹のブログに書かれていた。
この薬によりミラーニューロンが活性化した人は同じ幻覚を見たらしい。客観を主観に取り入れる能力が活性化されたあまり、自己さえも客体として見る「幽体離脱」を体験したのだ。
要するに、他者への共感度が高まりすぎたために、自分が他者であっても自己同一性が揺るがない状態になってしまった、ということらしい。
(離れてしまった自分の身体を他者として共感するということ、これは心身症でいう乖離性障害に近いものがあるのだろうか。視点がずれているかもしれないけど、このへんの難しいことはぼくは知らない。幽体離脱に「共感」の感覚があるのなら、乖離性障害の患者がこれを経験した場合、それを極北として戻れない境地に陥るのだろうか、あるいは改善されるのだろうか。)
失われてしまった「そこにあるはずの」自分の肉体を「まだそこにある」と感じる感覚には、どこかこの体験に似たものを覚えてしょうがない。どちらも自己だ。幻肢の場合、それはすでに他者ではあるけど、限りなく自己として信じていたい他者だ。
その他者(失った手脚)に鍼を施すという行為は、ミラーニューロンを活性化させるために投薬をするということではないのか? かつてはそこにあったという事実と、今は既にないのだという事実を折り合わせるために。
March 10, 2007 in books | Permalink
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