10/21/2007

ワトソンの真意?

ここまで耄碌したかジェームズ・ワトソン、の件。サンデー・タイムズの取材に対し、

「アフリカに対する見通しは、本質的に悲観している」
「すべての社会政策は、彼らの知性が我々と同等であるという事実に基づいて行われているが、あの土地で出てきた結果はすべて、これが真実ではないことを示している」
「黒人の従業員を雇う人々は、(人々は等しいということが)真実ではないと分かっている」
(→英博物館、DNA構造解明ワトソン博士の講演中止 差別発言で

と発言、その後の批判の嵐にしょぼーんとうなだれ、謝罪発言の後、講演旅行を中止したってやつですが。

ちょっとデリケートな事件だったのでとりあえずスルーして、竹内久美子あたりのコメントがでてこないかなーと静観していました。いやー、さすがに竹内は発言しそうにないですよね? w
finalvent氏も例によって流す感じでネットに上がったエントリに対してコメントをさらっと、で終り。このまま忘れられていくのかな、と思っていたのですが、昨夕、404 Blog Not Found で「充分よければ、優劣はどうでもいい」が上がっていました。
が、あまりにセオリーな内容だったので、気抜け。だいたい、

私が言っておきたいのは、「人種差別が科学的に可能か否か」ではない。仮に可能だったとしても、人種差別をするか否か、なのだ。

なんて、書く必要あり? こんなファンダメンタルなことわり書きをわざわざ書くって、何か釈明しようとしているからとしか思えないような。
おまけに、

黒人が知性において劣るか否かは、反証されていないが証明もされていない。しかし、黒人--に限らず人間--が、社会生活を送るのに充分な知性を有することは、すでに証明されているのではないか。
私には、それで充分だ。

なんて。

知性には反証も証明もされるいわれはない。もしかして小飼弾氏が言いたかったのは「知能」のこと? 知性、って、それこそ各人の基準が認められるはずのもの。
っつうか、ワトソンも「知性」と言っているんですね...
ここは微妙なところなんだけど。

なんか、いろんな誤解が錯綜しているように思えてきた。

 

October 21, 2007 in news | | Comments (0) | TrackBack

04/19/2007

インターネットラジオの危機。

昨日の朝、インターネットラジオ(オンライン放送局)のPandoraからメールが来ていて、どうせ社交辞令的なもんだろうと放っておいたのだけど、夜遅くなってTwitterで遊びながらネットを巡回していたら、ちょっと深刻なブログエントリ(→参照感じ通信)にぶちあたった。偶然にもこのメール絡みで。
そのメールは、" I'm writing today to ask for your help.  " に始まっている。

 

 iTunes Store(Japan)

発端はもう例によって、としかいえない気分なのだけど、ワシントンDCでの著作権料委員会が下した著作権料率アップ決定(3月2日)により、ラジオ局が悲 鳴をあげ、異議申し立てをしたことに始まる(3月20日の ITmedia News より)。やっかいなのは単なる著作権料の問題だけではない。

オンライン放送局は、放送チャンネル1つに付き500ドル(375.8ユーロ)という年間料金についても見直しを求めている。オンライン企業のなかに は何千もの聴取オプションを提供しているところもあるため、そうしたチャンネルを個々にカウントすれば、オンライン放送局にとっては膨大な料金になりかね ない

という。

Pandora は、利用者各自のチャンネルを持つ。たとえば、ブリトニーが好きだったら "Britney Spears" というチャンネルを持てるし、マドンナの "Ray of Light" が好きだったら、 "Ray of Light" というチャンネルを作ることができる。というわけで、僕も今のところ20あまりのチャンネルを作っている。オンライン放送局がリスナー全員の、すべての チャンネルに500ドルずつの年間料金を課されるのはたまったもんじゃない。ネットラジオという業界の壊滅は間違いない。

そして4月17日、 ITmedia News では「インターネットラジオ局は敗北を喫した」となる。

4月17日の決定で、著作権料委員会はこの再検討の申し立てをすべて却下しただけでなく、5月15日という新著作権料支払いの期限の延長も拒否した。

だが委員会は、1人のオンラインリスナーが1曲聴くごとに著作権料を徴収するという新システムではなく、従来通り平均聴取時間に基づいて料金を計算するこ とだけは認めた。この免除は昨年と今年の支払い分にのみ有効で、それ以降は曲当たり、リスナー当たりの新しいシステムが施行される。

保守にまみれた業界が新進の展開を潰す際の典型的なパターンか。
そういうわけで、「多数のネットラジオ局がこの問題への関心を喚起し、リスナーに対し米議会議員に手紙を書くよう促すキャンペーンを発表した」。
Pandora からのメールはその一環だろう。

ネットラジオ局の収入はもちろん広告料がほとんどなのだけど、Pandora の代表自身、音楽家。聴きたい時に聴けて、聴きたいジャンル(チャンネル)の音楽を選べるという点でネットラジオは重宝している。存続していってほしいな。

関連記事→ネットラジオのすすめ。

 

April 19, 2007 in news | | Comments (2) | TrackBack

03/18/2007

上祐史浩のマイmixiに足跡を残していく者。

当時阪神大震災の余震こそ消えていたけど考えることがあってでそれどころじゃなかったから、というわけでもないけど、オウム真理教の地下鉄サリン事件は僕には遠い映像にしか過ぎなかった。沿線近くに弟の勤め先があったから実家に電話したけど大丈夫だったみたいよ、といっていたし。今から思えば上一色村に向かう鳥かごを持った警官隊の映像は、米軍のイラクへのピンポイント爆撃映像より映像でしかなかった。それだけ現実離れしていた、ってことだけど。

僕らが人間であるからという理由において、戦争はテロリズムよりは人間の愚かしさが見えてきやすいように思う。語弊があるかもしれないけど、近しい、という印象がある。僕らも愚かさの一部だ。歴史の途上にある以上、当事者とはいつもどこかでつながっている。
地下鉄サリン事件にはそんな感慨のかけらもなかった。あまりにも非日常だった。愚かさ、なんて言葉を出すのも愚かしく、いかがわしかった。そして、妙に遠い感じもあった。宗教に端を発した事件だから、だったのだろうか。

上祐史浩が mixi に登場したというニュースには、サリン事件以上に非日常な感覚を覚えた。だけど、それもありだなとも思った。ネットの持つ可能性とはそういうものだし。今後の宗教のあり方なんて考えたくもないけど、イメージはしやすい。宗教とはそういうものだったりする。歴史が語っているとおり煽動しやすいシステムだし、ネットを利用していかようにも展開できる。誰にとってもそうである以上に、そちら側(宗教関係者)にとって web 媒体は魅惑的だろう。

アーレフのオフィシャルサイトのことは知らないし(あったの?)、ここ数年、どういう発言をしてきたのかも知らないけど、このタイミングで上祐がネットに出てきたのは遅いといってもいいくらい。 あるいはSNSというシステムが熟してくるのを待っていたのか。
共同体という意味ではSNSも宗教も一緒か。
それはともかく上祐が mixi 上で何をどう発言していくかということより、上祐のマイ mixi にあしあとを残していく者の、もっと言えばコメントを残していく者たちの意図のほうが気にかかる。ただの好奇心とひやかしだけで済ませるわけにはいかない対象に、それで済むことを可能にしているネットのなかで、何を聞くのだろう?

事件の被害者とその家族に mixi の会員はいるのだろうか。もしいるなら、その人の声が聞きたいと思う。真っ向から、上祐にどういうつもりでいるのか聞きたいことを聞き、求めるべきものを求めるべきだと思う。リアルに触れる、というのはそういうことじゃないのかな、と思ったりするネット漬けの今日この頃。

参考
滝本弁護士の日記
上祐史浩公式HP
J-castニュース
→(番外)finalventの日記(ちょっと面白い)

 

March 18, 2007 in news | | Comments (0) | TrackBack

01/20/2007

納豆ダイエット捏造の件。

結局、『あるある大事典』1/14放送分「納豆ダイエット」は関西テレビの捏造ということになりました。当番組は観ていないのですけど、オフィシャルで前回の放送分の内容はすべて削除され、お詫びのコメントが出ています。これはちょっとひどすぎるね。視聴者の立場になって番組づくりをしていないことがはっきりしたってわけ。怒り狂った主婦たちの悲鳴が聞こえそうな気がする。

番組内容に事実とは異なる内容が含まれていることが判明いたしました

ってあるけど、どこがそれを判明させたのか、現時点(20日22時)ではどの報道をみてもわからない。案の定っつうか、2ちゃんの内部告発スレあたりからきたのかなーとも思うが、サンスポは「12日に一部報道機関から取材があり、調査して不正が発覚した」としている。

知っている人は知っている(流通に近い、あるいは広告に近い立場にいる人たち)けど、大手のスーパーはこの番組の放映内容を事前に把握している。関テレ側からのリークがあるのかいったいどういう経路なのかわからないが、結果、放送の翌日には番組の内容にあわせた食材がごっそり大手スーパーにばかりまわる。零細はつらいところだ。納豆の品切れでウチの近所のジャスコでは下のエントリのようなお詫びのPOPを出していたけど、何もしていないスーパーもあったらしい。(→参照

逆に、納豆メーカーはとんだとばっちりを受けることになる。せっかく大増産してがんばったのに、今度は信用の問題が関わってくるかもしれない。明日以降数日間、大手スーパーはこの数日通りの数だけ仕入れをしてくれるのだろうか。「嘘だということになったから」と、激減させられることになりはしないだろうか。

この件をふまえて関テレ側は調査委員会を立ち上げたらしいけど、遅いっつーの。普段からどんなリスクマネジメントしてるんだか、ずさんさが目に余る。
それよりなんでまたこんな安易な捏造をしたのか。それなりの視聴率をとっているからこそのプレッシャーはあるだろうけど、だからって、捏造とはね。

January 20, 2007 in news | | Comments (2) | TrackBack

11/25/2006

フィリップ・ノワレ、アニタ・オディ、ロバート・アルトマン。

先日ケーブルTVで『ニューシネマ・パラダイス』を観ながらCDを整理していたとき、合間にアニタ・オディの『ANITA SINGS THE MOST』を聴いた。この組み合わせになったのはほんとにたまたまだ。
昨日のニュースで知ったのは、フィリップ・ノワレとアニタ・オディの訃報。偶然とはいえ、こう重なるかよと呆然とする。
フィリップ・ノワレは出演作130本を数えるというフランス映画の重鎮。『地下鉄のザジ』にも出ていたのですね。
アニタはジャンキーのアル中。かなり根性が座っています。あのハスキーボイスはだからこそアニタらしいとも言えるのか。

で、今日の訃報ニュースはロバート・アルトマン。絶句。癌の合併症で、享年81歳。Altoman2ということは『バレエ・カンパニー』を撮ったのは78歳のときかよ。信じられない。あの若さみなぎる映像。
来春公開予定の『ア・プレーリー・ホーム・コンパニオン』が楽しみとはいえ、もうこれ以上アルトマンの新作を観ることができないなんてな....

November 25, 2006 in news | | Comments (2) | TrackBack

08/27/2006

グッバイ、プルート。セレッソvs浦和。

ついこの間みた映画『プルートで朝食を』のことを時折反芻しているうちに、国際天文学連合はプルート(冥王星)は矮惑星であるという決議を下した。惑星ではなくなったからといってプルートの名が消えるわけではなく、格が下がったからといってプルート自身が傷つくわけでもない。プルートで朝食できる可能性は変わらない。

陽射しは相変わらずだけど少し空が高くなったように思える。湿度は高くはない。
淀川河川敷を走り、サッカーボールを蹴る。疲れたら水を浴びて、雑草の上に寝転ぶ。積乱雲が物凄い勢いで発達していっている。
帰ってシャワーを浴び、シーブリーズをドバッとかけて、ジントニックを飲み、少しソファで寝る。典型的な夏の終わりの午後だ。これでまだ明るいうちからの夕食がカリフォルニアのシャルドネとガスパチョだったら言うことない。

一年ぶりにサッカーの現場観戦で長居へ第20節セレッソ大阪vs浦和を観に行く。一年前ののセレッソ戦で浦和が情けなくも不甲斐ない試合を見せてくれたのはまだ記憶に新しい。あれを思い返すと本当に気が重くなってしまうのだ。あのゲームでいったい何人のサポが心の折れる音を聞いたことだろう。

Urawa20_2

 

で、トリニダート・トバゴ戦直後のFC東京戦でのコンパクトでシステマティックなサッカーにはまだ及ばなかったけど、鈴木啓太が攻守に効いていて、まあ楽しいゲームだった。前半後半あと1点ずつ取れたはずだというシュートを決められないのはワシントンでもない限り相変わらずだけど(後半、どフリーでの永井のループは何だ!? あそこは止められてもいいからズドンと強烈なのをファーに打つべきだったろう)、長谷部がよく走っていたし、全得点に絡んでいたしね。堀之内の1点目、アレとのダイレクトのコンビネーションは小気味よかった。

気になったのは前節腰を強打した小野。全然走れていませんでした。このゲームではハムストリングを痛めたようだし。明らかにバランスを崩していますね。あと、途中出場の黒部と暢久。十分に時間はありながら何もやらないうちに終わったし。何をしに出てきたのだろう。

August 27, 2006 in news | | Comments (0) | TrackBack

03/03/2006

久世、向田。

久世光彦が亡くなった。70歳。正月とかお盆の頃とかの向田邦子原作のテレビドラマ鑑賞の楽しみが一つ減った。昭和の残り香がさらにひとつ消えた。加藤治子と田中裕子の共演新作も観られないのか。小林薫の共演も。

本当に残念だと思う。ご冥福を祈ります。

March 3, 2006 in news | | Comments (0)

11/30/2005

フィクサー? ペルー、雑感。

政治家への癒着っつうか、政治家の企業への癒着は毎度お馴染みの光景のようで、庶民のどれほど真摯な怒りがあろうともこういうどろりとした世界が消えてなくなることはないのだろう。欲望が根元なわけだし。
それにしてもちょっとそのへんの茶番劇よりはずっと面白い、マンション耐震強度インチキ問題での衆院委の参考人招致での展開。一番マシかなと思えたイーホームズの藤田にしても責任逃れは見え見えで、そういう意味ではどの「参考人」にも「重み」がない。っつうか、軽すぎる。ヒューザーの小嶋に至っては論外。小者もいいとこ。ただの極道だな。
フィクサーがいるのでしょうね。そいつによっては下手したら小泉がヤバくなるのかもしれない。「あと一期なのだから何とか切り抜けろ!」って、武部が奔走しているのかどうなのか(笑)

広島・女児殺害事件でのペルー人逮捕の件。
朝の報道で初めてこのことを知ったとき、これはある意味、ショックでした。ペルーという国の関係者のことを思うと、という側面において。とくに在日のペルー人にとっては。こういうことには社会的に免疫が何もないだろうし。ないよね?(もし相当するものがあったら教えて下さい。知らないということが罪になる場合もあるしさ)
クスコ料理は好きで、知っているペルーの人もいるし、映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』でのマチュピチュの遺跡の美しさのこととか、たった一人で自国の歴史上のあらゆる負の要素を引き受けて立つような、南米独特の悲壮な面差しのこととか、そういうことを思うと。
この事件を機に、ペルー人への差別・非難が出なければいいんだけどな、でも日本のことだし何か出るだろうな、案の定、出てしまいました
短絡に過ぎるし、こういう感情こそ非道だと思う。

November 30, 2005 in news | | Comments (2) | TrackBack

11/17/2005

チャップマンの風景。

「なんていうか、世界そのものを手に入れて鎖にぶら下げているような、そんな成功を収めた男がいるのに、自分はその鎖の一部にさえなれない。なんの人格もないような人間だと思った。そう思ったとき、ぼくの中で何かが壊れてしまった」

といったのはマーク・チャップマン。(参照
僕は精神医学とか心理学には全然疎いのでこういう心理状態について理路整然と話してみることなどできませんけど、「壊れてしまった」という以前に社会的に壊れているのかある意味ピュアに過ぎたのか。あるいはまたピュアに過ぎたために既成社会で壊れてしまったのか。
既成社会のモラルにおいて裁かれる対象たりえるのかなーって思ってしまう。村上春樹が訳した『アンダーグラウンド』に感じた何かがオーバーラップします。

November 17, 2005 in news | | Comments (0) | TrackBack

10/22/2005

靖国参拝のこと、覚え書き。

今夏の衆院解散前の騒ぎで森元首相が小泉首相のことを、もー、どーにもならん! とさじを投げていたけど、先日の相変わらず周囲の空気を読むことを敢えてしない(っつうか、そのへんが欠落しているのか)靖国参拝についても同様の気分が広がったように思う。今回の参拝による近隣諸国からの避難に対してまたいつものように「話せばわかる」と言ったのかどうか知らないけど、そんなこと「わかる」わけないから非難されるのだと小泉はわかっているのかどうか。
一国の首相は子をあやすより難しいっつうのも難儀やなー。
確かに参拝するのは基本的人権を鑑みても、各人の自由。でも、メディアを振り切ってからにしろ。「個人として」参拝するのだと主張しておきながらどうしてメディアを引き連れるのよ? この矛盾に何と答えるのか。変装するなりなんなりして、パパラッチから逃げるイタリア人の覚悟で赴けよ。メディアが小泉だと認識している限り、個人も何もない。

ただ、公人として参拝することの是非を答えられるのは死者だけだ。

以下、毎日新聞の『この国はどこに行こうとしているのか』から。

常寂光時の住職、長尾憲彰の巻。

ひんやりとした境内を住職と歩いた。木立の中に碑があった。<女ひとり生き ここに平和を希(ねが)う>。自然石に参院議員だった故市川房枝さんの文字が刻まれている。戦争で若い男性が死ぬ。それは結ばれるべき適齢期の女性の生き方を変えた。戦争独身女性である。彼女たちが平和への願いを込めて建てた。小泉純一郎首相はご存じだろうか?

「さあ、ここは靖国神社やありませんしな。だいたい若造だよ、彼は。歴史を知らない。戦争の本当の苦労を知らないんや。中曽根(康弘元首相)は来たらしいけど、見てくれたかどうか。私は愛知県の半田にあった飛行機の組み立て工場にもいたけれど、毎日のように上空をB29が飛んでいく。煙は名古屋のほうから上がるんや。エンジン工場がやられる。それを迎え撃つために戦闘機が上がっていくんやけど、まったく追いつかない。いつになったら戦争の季節から抜け出せるか、そんなことばかり考えていた」


鶴見俊輔の巻。

「戦争が終わって、日本はよくなるんだって思っていましたよ。でも、悪くなった。若い人は頼りにならない。むしろ亡くなった後藤田正晴なんかのほうがずっと頼りになった。彼は何者かでした。悪辣(あくらつ)なところもあったけれど、ちゃんと目が覚めていた。それと宮沢喜一も何者かですよ。彼は私と同じ小学校の2年上でね。ものすごくできた。テレビで見ていると、捨てゼリフを吐いていたよ。自衛隊のイラク派兵のとき、これで昔と同じ道をたどるような気がするってね。ただ野性に欠ける。野蛮人じゃないんだ」

「彼のじいさんを覚えているよ。小泉又次郎、黒めがねかけて壇上に座ってたな。ごろつきみたいな感じで。政党じゃなく、院外団に影響力のあった人だった。ひとつ、小泉を評価しているのは90年ものハンセン病患者の隔離政策を断ち切ったことだ。官邸でハンセン病の患者に会っただろう。しっかり手をつかんで握手した。感心した。あれだけで、すぐぶっ倒れていれば、小泉は歴代宰相のなかで2番目に偉大な人として残ったと思うよ。1番は石橋湛山。惜しいかな、あのあとが……」

「私が生まれたときは、まだ黒船のころに生まれた連中がうろうろ歩いていたんだ。だから、ざっと150年がつかめる。日露戦争の終わった1905年が分岐点だった。それまでの日本はまだよかった。指導者が偉かった。児玉源太郎は南禅寺にある山県有朋の別荘、無燐庵で開戦にあたって会議を開き、戦争を止めるべきときは、どんなことがあっても止めてくれ、そう言っている。勝った、勝ったとうかれて、あのまま戦争を続けていたら、日本は負けていた。日本がなくなっていた」


October 22, 2005 in news | | Comments (0) | TrackBack